今日は月曜日、朝から雨。もうこないのかな、と思った頃にしとしとやってきた雨が、窓の外、強く、弱く、水たまりをたたいています。
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『あるげつようびのあさ』 ユリ・シュルヴィッツ作 谷川俊太郎訳 徳間書店 1994年
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雨の静かにふりそぼる、ひっそりとしたニューヨークの下町の通りを、ひときわにぎやかできらびやかな王さまの一段が、傘をさして、ぼくの部屋を訪ねてやってきます。 月曜日、ぼくはるすだった。 火曜日、ぼくはるすだった。 水曜日・・・。 あいにくぼくはるすだったのですが、一段はさらりと、「そんならまたこよう」。 そして日曜日・・・。 古い美しいうたと、ユリ・シュルビッツさんのどこか物悲しい透き通ったイラストが、とても美しく響きあう忘れがたい絵本。
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原書は『ONE MONDAY MORNING』Macmillan Publishing Company(USA)、1967、とあります。
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『ONE MONDAY MORNING』 Sunburst
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『あるげつようびのあさ』はフランスの古い民謡に基づいて描かれた、そうです。
レモン色の表紙の、雨の静かにふりそぼる、ひっそりとしたニューヨークの下町の通りの、トーンを抑えた色彩も、細やかに描きこまれた線画も、どこか古めかしくて、長い時の底でひそかに眠っていたような雰囲気です。 その表紙を、かさをさして前をむいて、ひとり歩いている小さな男の子は、ぼく。
ぼくはニューヨークに実在する、ソーホーと呼ばれる地域のアパートの6階に住んでいます。 細かく丁寧に町並みが描かれていて、当時のぼくの身の回りの世界が鮮やかに浮かび上がるようです。
雨にけぶるビルの空を丸く切り取った挿絵からはじまる物語は、だんだんクローズアップされて、アパートの窓から雨を見ているほおづえのぼくの後姿が描かれます。
そのぼくを訪ねて、トランプから抜け出してきたような愛嬌たっぷりの王子さまのご一行が、突如としてかさをさして登場します。 それが、「あるげつようびのあさ」。
一週間の新たな始まりを予感させる、ある月曜日の朝の鳴り物入りの登場は、王さまと女王さまと、小さな王子さま。 どこからともなくせっかくはるばると、かさをさしてやってきたのに、
「でもぼくはるすだった。」・・・。
この一文は、衝撃でした。 一見平然とした居留守のようなこの一文に、強烈なぼくの不在、孤独を感じてしまったのです。
ぼくに会えなかった王子さまはあっさりと言います、 「そんならかようびにまたこよう」
そして火曜日。 今度はからりとお天気で、意気揚々とぼくを訪ねてやってきたのは、王さまと女王さまと王子さまと、ひとり増えて鎧の騎士。
「でもぼくはるすだった。」・・・。
古い民謡に基づいた、というように、耳にも目にも心地よいくりかえしのリズムで、月曜日から順番に、ぼくと王家のお客たちのすれ違いが、ユーモラスにうたわれます。 曜日を経るごとに、にぎやかになっていくどこか浮世離れした一行の場面は、読み聞かせながらとても楽しいのですが、交互にはさまれる、うらはらに現実的で、淡々としたぼくのひそやかな日常の場面は、どこか、うらさびしい空気がただよっているようでなりません。
「でもぼくはるすだった。」・・・。
夢のように華やかなお客たちが他ならぬぼくを訪ねてきているのに、ぼくはちょうどそのとき、日々の雑事の最中で、うまく歯車がかみあわず、パラレルワールドのように、近くて遠い、へだたりのある場所にぽつんといるのです。
けれど幸いなことに、一向にくじけない一行がつぎつぎと仲間を増やしながら、ぼくを訪ね続けてくれるので、物語はどんどん期待をつみかさねて進みます。
そして・・・。
本文最初のページは、丸く切りとられた雨模様のビルの上空、でしたが、ラストのページに丸くあるのは、同じビルの上に浮かぶ、晴れ渡ったまぶしい太陽。
忘れがたい「ぼくの不在」を後々まで印象に残す絵本でしたが、晴れた空でしめくくられたことで、一筋の救いが残されているようで、雨上がりのように透明な気持になる一冊、でした。 古い美しいうたによくあるように、読み方によって、読む人によって、読む時によって、さまざまに解釈のできる、どこかなぞめいたおおらかな絵本だと思います。
よろしければ図書館でお読みになってくださいね。
その、透き通るような繊細な画風のユリ・シュルヴィッツさんの記念すべきデビュー作がこちら。
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『ぼくと くまさん』 ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房 2005年5月
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小さな家に、男の子が住んでいます。 男の子の部屋には何でもあります。 自分だけの太陽も、月も、庭も、山も、そして友だちもたくさん・・・。 ところが、くまさんがいないのです。ぼくのくまさん!
これは少し皮肉な絵本かもしれません。自分だけの太陽も月も、アパートの窓から見えるだけの景色、庭は窓辺の小さな鉢、友だちはおもちゃに人形・・・。
小さな静かなぼくだけの世界の中で、ぼくからいなくなったぼくの大切なくまさん。単なるぬいぐるみ以上の命を持つぼくのくまさんを、ぼくは必死に探します。
そしてやっと見つかった時、ぼくはぼくのくまさんに対する気持とともに、ぼく自身も見つけたのでは・・・。
淡くうつろいやすいぼくの気持を、繊細にみずみずしく描きとめた、心に残る青りんご色の絵本。 ユリ・シュルヴィッツさんのデビュー作だそうです。
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淡い草色の地に、三日月の夜空、そして長い糸をひいたぼくがひとり・・・。 糸は細く長く裏表紙へとのびていて、その端っこにはおもちゃの大砲がひとつ。
表紙だけで一目ぼれです。日本語タイトルの手描き文字にも惹かれました。 何か、シンプルで静かでさわやかな絵の中に、果てしのない大きな広がり・・・が、伝わってくるような気がして。
緑と赤は、確か補色関係だったと思うのですが、表紙のように、本文も、線の細いシンプルな線画に、緑と赤の2色のみで淡く淡く彩色されています。 このかげろうのような少しはかないタッチは何だか新鮮。
原書は『THE MOON IN MY ROOM』、1963年コピーライト、renewed 2003年とあります。 アマゾン洋書はこちら。
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『THE MOON IN MY ROOM』 Sunburst
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そっと表紙を開くと・・・。 小さな家に、男の子が住んでいます。 男の子の部屋には何でもあります。 自分だけの太陽も、月も、庭も、山も、そして友だちもたくさん・・・。 ところが、くまさんがいないのです。ぼくのくまさん!
イラストと同様に、本文もとてもすっきりシンプル。いなくなったくまさんを、ぼくがあちこち探します。 でもこれは、くまさんのかくれんぼ絵本ではありません。 ぼくの小さな部屋=ぼくの世界、ぼくの宇宙で、たったひとりのたいせつなくまさんとの、ぼくの友情の物語、心のつながりを見つける物語、といえるでしょうか。
この絵本は孤独です。あるいは皮肉です。 ぼくのへやにはなんでもある、と文章でうたいながら、描かれているものは、たわいのないおもちゃです。「じぶんだけのおひさま」は、ぼくのへやの窓から見る太陽のことですし、「じぶんだけのにわ」と書きながら、描かれているのは窓辺の植木鉢。 ともだちもたくさんいます・・・と記されたページに広がっているのは、レールの汽車や大砲などのいくつかのおもちゃ、本。
意思を持って動く登場人物は、ぼくと、後半に出てくる、ぼくの大切なくまさんだけ。
つまり、ぼくは、この小さな部屋の王様で、すべてです。くまさんでさえ、いなくなる前は、汽車や大砲のおもちゃと同じ、単なるお気に入りのおもちゃにすぎなかったのでは、と想像してしまいます。
ところが、いま、くまさんはどこかへ見えなくなり、ぼくは「あれ?」と、あちこち探します。 探すうち、ぼくは気がつくのです。 「くまさんが いないと、ぼく さびしいよ」
ぼくは、きっと、くまさんを探しながら、自分自身を発見したのでしょうね。
そう考えて読むと、ここからラストへ向かう場面は、ほのぼのと、かつ、ひたひたと心にしみこんでくる静かなぬくもりがあります。
最初はユーモアか皮肉かと思った「じぶんだけのおつきさま」、つまり、ぼくの部屋の窓から見える夜空の月景色も、ここではとても心地よい、喜びあふれる風景に変わっているようです。 しかも、カーテンも、窓辺の「じぶんだけのにわ」・すなわち植木鉢たちも、みんな省かれて窓だけなので、何だか、幻想的ですらあります。もしかすると、月明かり美しい本当の窓を眺めながら、見ているのはぼくの心の中の窓なのかも、しれませんね。
いい意味で、表紙に抱いた美しいイメージを最後まで裏切らない、素敵な絵本。 私のカンは正しかった!と、読後ニンマリしてしまいそうな感じです(笑)。
よろしければ図書館などでお読みになってくださいね。
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いなくなったくまさんを探す、というモチーフで思い出すのは、こんな絵本たち。くまさんと持ち主の心の交流を描いた傑作が多くて、お気に入り率も高いのです。
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『ふわふわくん と アルフレッド』 ドロシー・マリノ作 石井桃子訳 岩波書店 品切れ
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いつの間にか品切れになってしまったのですね・・・。 くまのくんちゃんシリーズの作者のドロシー・マリノさんの作品で、とりわけ二女のお気に入り。
ふわふわくんは、ある日家出してしまいます。だって、アルフレッドくんってば、ぼくのことなんかすっかり忘れて、新しいとらのしまくんとばかり遊ぶんですもの。
ふわふわくんと男の子とのかけひきがどきどき楽しくて、パパママの的外れ的愉快な奮闘がゴクロウサマだったり(笑)。 ふわふわくんがどうしてそうなったか、ぜひ図書館などで読んで知ってくださいね!
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さらに、こちら。
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『くまのビーディーくん』 ドン・フリーマン作 まつおかきょうこ訳 偕成社
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ぜんまいじかけのくまのビーディーくんが、ある日お留守番中、くまの絵本を見つけます。くまはほらあなにすむ、と書かれてあるページを見て、早速窓から望遠鏡でほらあなを見つけて、家出をくわだてるのですが、くまにぴったりのほらあなに着いても、何だか何かが足りないのです。
そうだ、まくらです。眠るためにはまくらがなくちゃね。 でも、まだ何かが足りないみたいです・・・。
ビーディーくんは、足りない何かを取りに帰るために、家ほらあなをトコトコ行ったりきたり。 今度こそ本当に、くまらしいほらあなでしあわせな気持になれるでしょうか?
これも、3姉妹大好き、わけても二女のお気に入り。 いなくなったくまくんの側から、持ち主との心のつながりをうたった温かな絵本。 本当のしあわせにしっかりと気づいたくまくんの、満ち足りた結末が大好き!
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それから、スウェーデンのロングセラー幼児絵本、トミーちゃん(トッテちゃん)絵本では、こちら(邦訳は品切れ)。
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『くまくんどこ?』 グニラ・ボルデさく たかむらきみこやく 偕成社 品切れ
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トッテちゃんがお部屋でなくしたくまくんを必死に探すのですが、そのプロセスで、他のなくしたと思っていたいろいろなおもちゃやものたちを発見して、かたづけるという意味を身をもって学ぶ、という、ためになる幼児絵本。 トッテちゃんシリーズは今読んでも、大人も子どもも頼りになるおともだちのようなしっかりした絵本だと思うのですが、・・・品切れ。残念。
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