■デイビッド(ディヴィッド、デービット)・マクフェイルさんの絵本2
1940年アメリカのマサチューセッツ州に生まれる。絵本作家・画家として活躍。作品多数。邦訳作品には、『まよなかのできごと』(トモ企画、品切れ)、『ペットみつけた!』(アリス館、品切れ)、『ほんがすき!』(アリス館、品切れ)、『はのいたいくま』(アリス館、品切れ)など多数。
(『もぐらのバイオリン』ポプラ社 表紙カバー裏見返し 著者紹介 参照)
『ぼくのきしゃ』*『ぼくうそついちゃった』*『あくまのしっぽ』*『ねらわれたチョコレートケーキ』
≫別頁『もぐらのバイオリン』*『まいごのくまみつけた』*『くまくんのじてんしゃ』

 

『ぼくのきしゃ』佑学社 品切れ


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『ぼくのきしゃ』
デーヴィッド・マクフェイル作・絵
三木卓訳
佑学社
1982年
品切れ

汽車にあこがれるマシューは、ある夜大切な汽車のおもちゃを、弟にこわされてしまいます。眠れないマシューは、ベッドからおりて汽車をなおそうとしますが、いつしか本物の汽車がレールで音を立てて止まっていて、故障中だというのです。
「ぼくなおせるよ」と、マシューはどうぐをしりだして・・・。

汽車への夢と憧れをいっぱいのせた、マシューのちいさな世界を描いた物語。丹念に描きこまれた絵の、あちこちの秘密を眺めるのも楽しいひととき。
ひびく汽車の汽笛のように、不思議と希望とあこがれ、郷愁をかきたてられる物語。

マシューはきしゃがすきでした。

マシューのベッドのかべにかけてある青い帽子の肖像画は、アメリカの開拓時代の有名な鉄道機関士ケーシー・ジョーンズ(1863-1900年)を描いたものだそうです。
(三木卓さんの巻頭の解説、「お母さまへ」より)

よく似た青い帽子をかぶったマシューは、子ども部屋のテーブルに動く汽車の模型のおもちゃを持っていました。
あるひのこと、寝る前に、その汽車の運転をちいさな弟にさせてやったのですが、
ガシャン!
汽車が墜落してしまいました。
マシューはおこりましたが、じきに機嫌をなおして、
「いいんだよ。ぼくなおせるからね」
おもちゃ箱から道具を出して、汽車を直そうとしました。
けれど、もう寝る時間。

パパに汽車の絵本を読んでもらって、ママにもおやすみなさいのキスをもらって、いつものおやすみなさいのあとに、くたびれていなかったマシューは、ベッドからおりて、汽車を直すことにしました。
汽車はレールの上で、シューシュー音をたてています。

しゃしょうさんがおきゃくさんに、
きしゃはこしょうしています、といっています。

「ぼく、なおせるんだ」
マシューはどうぐをとりあげると、きかんしゃのほうにあるいていきました。
・・・

汽車にあこがれる少年の夢が大きく羽ばたく物語。
マシューはいつしか、本物の機関車を修理し、荷物をのせたり切符を切ったり、売り子になって雑誌やアイスクリームを売ったり、立派に汽車のお手伝いをするのです。そして、運転手さんに運転室へ乗せてもらって、運転までさせてもらうのです!

きめ細かく描きこまれた濃密な線画が、かっちりとクラシカルに、夢ともうつつともつかない、不思議な世界を描き出しています。赤、青、黄、の3原色がそのまま、あるいは霧のように重なって彩色されているのも、どこか石版画のような古風な趣き。

何より、乗客乗員みんなきっちりめかしこんでいて、汽車に乗って旅をする晴れがましさ、誇らしさを感じます。
そして、その乗客乗員の顔ぶれを、一人一人親子で確認してみてくださいね!
マシューの日々の世界をレールに、夢と憧れをのせた汽車を見事に走らせた格別の一冊。汽車好きの子も、おもちゃ好きの子も。

原書は『THE TRAIN』1977 Little,Brown and Company,Inc.,Boston とあります。
アマゾン洋書ではこちらなど↓

The Train

The Train
(ペーパーバック)』
David McPhail
Little Brown & Co
(Juv Pap);
Reprint版
(1990/03)


邦訳と同じ表紙です。

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『ぼくうそついちゃった』佑学社 品切れ

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『ぼくうそついちゃった』
マージョリー・ワインマン・シャーマット作
デーヴィッド・マクフェイル絵
大庭みな子訳
佑学社
品切れ

クッキーをたべたのはぼくじゃないと、ついうそをついちゃった。ふとっちょででっかいうそさ。
おまえはどうしてぼくにくっついて、どんどんおおきくなるのさ!

うそをついた少年の子どもらしい心のゆれが、ユーモラスで憎めない「うそ」怪獣になって現れた!
退治するにはどうしたらいい?
ああもう、わかった、わかったよ!

楽しくておかしくて不思議。ぼくと「おまえ」のやりとりが、目の前でくりひろげられているみたいに、おどけて愉快に、表情豊かに描かれます。単なる「ウソをついてはいけません」的な絵本ではなく、子どもなりのちいさなプライドと子ども自身の解決への道を大切に見守った痛快な絵本。

ぼく、うそついちゃった。
おおきなふとっちょのでっかいうそを。
「かんのくっきーたべたのおまえだろ」っておとうさんにいわれたとき、
「ぼくじゃないよ」って、ぼくいっちゃったんだ。
おこられるにきまってるもの。

ぼく、たべなきゃよかった。
うそなんかつかなきゃよかった。
でも、ぼくはもうウソとくっついちゃってる。

ついうそをついてしまったぼくのちいさな心をだんだんふさぐ、後悔の気持ち懺悔の気持ちが、明るく温かくユーモラスに描かれた不思議な絵本。
自分のうそに対してふくらむぼくの心の呵責が、いつしか本当の「うそ」の怪物に姿を変えて、みるみるふとっちょにでっかく育って、ぼくにまとわりついてはなれません。

「あっちへいけ。
おまえなんかみえもしないし、ほんとはおまえなんかいないんだろ」

・・・

ぼくはさんざん悪態をつきながら、なんとか「おまえ」から逃れようとしますが、「おまえ」はどんどん大きくしつこくなるばかり・・・。
ぎょろめであどけなく、無邪気でにくめない顔をしているのですけれどもね。

デービット・マクフェイルさんのきめ細やかな白黒の線画の、「おまえ」とその他ごく一部のみに、淡い緑色が施された、クラシカルなイラスト。

子どもなりにいろいろと考え、悩み、そしてついに決心するまでの「おまえ」のだんだんの変化、決心した勢いで、威勢良く本当のことを家族にうちあけてゆく場面の、「おまえ」の変化にご注目。
子どもの心の影の部分を、緑のふとっちょ怪獣にあてがい、ユーモラスに光を当てた、楽しい絵本。

「おまえ」と決別する結末に向かって、なんとなく「おまえ」をあわれに感じ、まああれはあれでなかなか可愛いやつだったなーなんてしんみりしたりもするのですが、繊細に丹念に描きこまれた絵のすみずみをごらんになってくださいね。やんちゃな続編をこしらえることができるかも???

原書は『The Big Fat Enormous Lie』1978 Elsevier-Dutton Publishing Co.,Inc. とあります。
アマゾン洋書ではこちらなど。↓モチーフは同じですが、再販されたものの表紙は、カラーになっています。

 

『A Big Fat Enormous Lie
(ペーパーバック)』
Puffin; Reprint版
(1993/07)

邦訳の表紙に、淡い水彩のカラーをほどこした絵のように思えますが、細かく見ると、まったく同じ下絵のものではないようです。
新しく描きなおしたものかも!

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『あくまのしっぽ』佑学社

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 『あくまのしっぽ』
ナニネ・ヴァレン作
デーヴィッド・マクフェイル絵
松本享子訳
佑学社
1981年
品切れ

フランスのブルゴーニュ地方の平凡で平坦な名もちいさな村に、どうして急な坂が出現し、村人がみな鼻声で話すようになったのでしょう?
それにはこんな不思議なお話があるのです。

人々の心も空気も凍りつく真冬のある日、お使い帰りのちいさな三人の兄弟が、雪に行き倒れた男をひろって家につれて帰りました。かまどの中で目をさました男が悪魔だとわかると、閉じ込めたままにしようとしますが、悪魔は交換条件を持ち出します。
外へ出すかわりに、三つの願いをかなえること。
そこで三人と、その母親は・・・。

おおらかな昔話を骨組みに、ひとりひとりが個性豊かな表情と性格を持ったきめ細やかなテキストとイラストで、楽しくにぎやかに描かれた小気味よい物語。

デービィッド・マクフェイルさんのかっちりとしたきめ細やかな白黒の絵が好きですが、これもその入念に描きこまれた柔らかな質感のある白黒の絵が美しい一冊。

しかも、私の好きな悪魔系昔話。≫こちらでご紹介したジェイムズ・ジョイスさん、ジェラルド・ローズさんの『猫と悪魔』(小学館、品切れ)などのような、ちょびっとコワくてワルのアクのつよい物語に心惹かれてしまいます。

フランスのいなか、ブルゴーニュ地方に、平坦な土地の平凡な村がありました。坂のないちいさな村には名前もなく、村人の頭にあるのは自分のことばかり。
その村が、あるとき突然、何でも転がってしまうような急な坂を持つ、"鼻が丘"とよばれる村になり、村人がみな、鼻にかかったふがふが声で話すようになったのです。
どうしてかって?それには、こんなふしぎなお話があるのです。
・・・

ずっとむかしの凍てつくような冬のある日、ニコラとエルネストとジャン・フランソワという三人の兄弟が、切ったばかりのまきをはこんで、雪の野をこえ、村の市場をぬけ、家に向かっていました。
売り手も買い手もぎすぎすとした市場の様子を見るともなく見ながら、村はずれまできた兄弟は、そこで雪にうもれて倒れている男の人を発見します。
「家につれてって、とかしてやろうぜ」
かちこちに凍りついた見知らぬ男を、まきのかわりに家までひきずって、熱いかまどに押し込みました。めがねをかけていない三人のかあさん・バルボットは、そんなことはつゆ知らず、にぎやかにめがねとほうきをさがしていて、うっかり間違えて、長い長い男のしっぽで炉の灰をはきはじめてしまいます。
子どもたちの指摘や、解凍悪魔自身の目覚め、その茶目っ気あるなぞなぞなどで、やっとそれが悪魔のしっぽだとわかったみんなは、「かまどから出してやらないぞ」と息巻くのですが、それなら、と悪魔はお決まりの交換条件を出しました。
すなわち、外に出すかわりに、三つの願いをかなえてやる、というものです。
かまどでとっととパンを焼きたかったバルボットかあさんは、ついその願いをかなえられてしまう羽目になりました。今度こそはと子どもたちの慎重な協議の末ひねりだした二つ目の願いは、みんなで乗れる大きなそりがほしいということ。
そして最後の三つ目は、そりときたなら・・・。

村に坂が出現し、上を下への大騒ぎのてんやわんやの絵と文の、まあにぎやかで楽しいこと!
おおらかな昔話をひとつひとつのエピソード、一人一人の性格づけもきめ細やかに描きだす、ナニネ・ヴァレンさんのテキストが抜群の面白さ。ダンディな(?)悪魔のしゃれっ気も、肝っ玉かあちゃんのバルボットさんの豪傑ぶりも、兄貴ぶるニコラに几帳面なエルネスト、末っ子らしいジャン・フランソワ、その他市場の人々の個性も特徴も、ひとつひとつ裏打ちされた確かさがあります。
そして、ひっくり返った村のその後の収束も、最初のエピソードからなめらかにつながっていて、見事な手際よさ。

余談ですが、悪魔いよいよかまどから登場なるかという前半の場面の、悪魔が自分の名を当てさせる楽しいなぞなぞですが、これがまたこなれていて、翻訳であることを忘れるほどです。いったい原文では、どんななぞなぞになっているのかしら。物語全体の松岡享子さんの訳が、とてもいきいきとはずんでいて、ユーモアとウィットを高めているように思いました。

原書は『THE DEVIL'S TAIL』1978 Charles Scribner's Sons,New York とあります。アマゾンアメリカでは≫こちら、フランスの古い伝説のようです。

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『ねらわれたチョコレートケーキ』国土社 品切れ

『ねらわれたチョコレートケーキ』
デーヴィッド・マクフェイル文・絵
吉田新一訳
国土社
1980年
品切れ

森の向こうのおじいちゃんへのおつかいのチョコレートケーキをねらって、次々に兄弟と子うまの前にあらわれる、悪賢くておそろしいやつら!
果たして無事にケーキを届けることができるでしょうか?

昔話のような繰り返しの楽しい、どきどきはらはらの物語を、丹念に描きこまれた白黒の美しい絵がいきいきとユーモラスに伝えます。
いさましく誇らしく、ちょいとびくびくどきどき、さらにびっくりとどっきりの、子どもの心を鮮やかにすくいとった胸のすく読み物。

ピーターとアンドルーは、おばあちゃんにおつかいを頼まれました。
「チョコレートケーキが、やけたから、ひときれおじいちゃんのところへ、とどけておくれ」
おじいちゃんはいま、森の向こうのずっと遠くの丘の上で、ひつじの世話をしているのです。
大喜びのピーターとアンドルーと、ちょっとわがままであまり喜んでいない様子の子うまのモモの、おつかいのたびがはじまりました。モモの背中には、おじいちゃんのためのケーキと、モモのごほうびのためのりんごのはいったかごが、ゆわえつけられています。

調子よく歩いて川を越え、森の道を曲がると、突然しげみから、茶色いきつねがとびだしてきました。
「いっしょにいっても、いいかい?この森にゃもおいはぎや、ごうとうが、いっぱいいるぜ。・・・」
きつねは親切ごかしにつきそいを申し出て、さらに、かごの中身を訊いて来ました。そして中身がきつねの大好きなチョコレートケーキだと知るや否や、
「こいつは、ぼくが、ひきとることにする」
モモの背中のかごの中に手をのばすと、
「ひきとるのは、おまえのほうだ!」
突然大きな黒いくまがあらわれて・・・!

銅版画のように細い線で濃密に描かれた、白黒の挿絵がとても美しい絵本。文章量的には、幼年童話の部類に入るかも。
昔話を思わせる繰り返しの三度の危機のどきどきと、なんとか切り抜けたと思ったとたんやってくるさらなる危機のはらはらに、ピーターとアンドルーの兄弟が果たして無事チョコレート・ケーキを届けられるのか否か、固唾をのんでしまう楽しい物語。
とりわけ、ものがみんなの大好きなチョコレートケーキだけに、最後の最後にねらってしまう可愛い危機が、なんともお茶目で魅力的かも。

ちいさな子どもにとって、おつかいの旅は大きな使命。その行く手の先々に待ち受ける出来事も、その任務の重大性にふさわしく、はなばなしく劇的、それも、どこか喜劇的。
ちゃんと無事いけるかな、こんなことにならなければいいな、あんなことが起きなければいいな・・・なんて、子どもが子どもなりに考えうる一番恐ろしい想像が見事的中してしまったような、痛快さです。

そして、昔話的小気味よさで危機を乗り越え、守り抜いたかに見えたチョコレートケーキに、最後の危機が無邪気にしのびよる・・・ところが、現代的な隠し味かも。

巧みな構成、巧みな展開、巧みな美しい絵で、どんどん読み手の心をつかむ、爽快おつかい物語。

巻末の著者紹介に、
「センダックやローベルに似た、諧謔とファンタジーが得意の、アメリカ絵本・挿絵界の新星(※)」
(※邦訳の初版1980年当時のことと思われます。今では大ベテランですよね。)
とあります。
きっちりかっちりと描きこまれ、リアルさとファンタジーとユーモアがほどよく溶け合い、繊細さと重厚さの均衡の取れた、クラシカルな雰囲気が、誰かの絵の雰囲気に似ている・・・と思っていたら、ここにご紹介がありました。

原書は『GRANDFATHER'S CAKE』1979 Charles Scribner's Sons,New York とあります。

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