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『もぐらのバイオリン』
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デイビッド・マクフェイル作・絵 野中ともそ訳 ポプラ社 2006年
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簡潔な文は、地面の下のもぐらの日々上達する演奏の様子を記します。少しレトロなタッチの描きこまれた線画に澄んだ色使いをのせた絵は、もぐらのバイオリンの音色の広がる地面の下と上の世界を描きます。
普通の日々を過ごしていたもぐらに感動を与えたバイオリンを、今度はもぐらが奏でることによって、世界に何を与えることができたでしょう?
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ひとりきりで地面の下にすむもぐらは、昼間トンネルをほり、夜テレビを見て眠るくらしが気に入っていましたが、近頃、何かがたりないなあと思うようになりました。 そのとき、もぐらはテレビで、バイオリンをひく人間を見たのです。
「おれもあんなふうにきれいなおんがくをかなでてみたいな」 その美しい音色に感動したもぐらは、次の日さっそく手紙でバイオリンを注文します。やっと届いたバイオリンをそっとかかえて、毎日練習開始。 最初は聞けたものではありませんでしたが、だんだん少しずつひけるようになり、美しい音色を奏でられるようになるにつれ、地面の上のもぐらの知らない世界は・・・。
地面の下の、いっしょうけんめいなもぐらの努力に焦点を定めて簡潔に記した文章と、そのもぐらの音楽がだんだんもたらした、地面の上の広い世界の変化を描いた静かなイラストの、絵と文の両方が奏でる和音に耳を傾ける詩的な絵本。「癒し」という言葉が、本当にぴったり。
地面の下の狭くて暗いトンネルの中、だんだん上達していくもぐらの音色が、地面の上の世界にどんな影響を与えているか、もぐらはまったく知りません。 もぐらはときどき想像してみるだけ。
「じぶんのおんがくがひとびとのこころにとどき、 いかりやかなしみをとかしてしまうことさえもおもいうかべました。」
すぐに、もぐらはその考えを謙虚に打ち消します。 「だれもきいたことさえないのに!」 ・・・
なんとなくの受身の毎日を、幸せに変えてくれたもぐらのバイオリン。だれかのために演奏することができたら・・・と、考えながらトンネルの中で奏でる音色は、もぐら自身にも見えないけれど、読んでいるあなたや私には、細やかなイラストのそこここにちりばめられた少しずつの、確かな変化が見て取れます。 もぐらの音色をもぐら自身がさわることはできないけれど、あなたや私には、澄んだイラストの広がる変化に、確かな手ごたえとして感じることができます。
自ら知らぬままにすばらしいことをやってのけた、はなれわざ(?)のもぐらのおくゆかしさが、たまらなくいとおしい絵本。ブラボー、もぐらくん!
表紙は本文中の一場面ですが、中表紙、続くタイトルページから、物語は静かに始まっています。 例えば表紙のもぐらの真上の、小さな若木に注目して読んでみたり、右下のもぐらのテレビの行方を追い続けてみたりしても、新しいドラマが広がるかも。
原書は『Mole Music』1999、とあります。 アマゾン洋書ではこちらなど。↓
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『Mole Music (ハードカバー)』 Henry Holth & Co (J) (1999/03)
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洋書の表紙は、邦訳とは異なります(何でだろ?)。 邦訳の本文中には見られないもので、表紙のために描かれたものではと思われます。 この表紙をトリミングしたものが、邦訳表紙カバーの裏に用いられているものと同じだと思われます。
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『まいごのくまみつけた』 デービッド・マクフェイルさく とものふゆひこ訳 トモ企画 1990年 品切れ
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都会にすむぼくが、まいごになった森のくまをなぐさめて、おうちまでちゃんと送り届けてあげる、楽しいお茶目な物語。かりてきたねこみたいにおとなしく(?)途方にくれているまいごのくまを、ぼくが守ってあげなくちゃ。 都会ならまかせてのぼくと、森ならまかせてのくまの、ほほえましいまいご物語が、やさしいまなざしで絵がかれています。
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原書は『Lost!』1990 Little,Brown and Company,Inc.,Boston とあります。 アマゾン洋書ではこちらなど。↓
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『Lost! (ペーパーバック)』 Little Brown & Co (Juv Pap); Reprint版 (1993/10)
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翻訳版と同じ表紙。今も版を重ね続けているのですね。
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デービット・マクフェイルさんのイラストはすべてカラーで、透明感のある淡い色彩の、やわらかい雰囲気。
表紙をめくると、本文はじめのタイトルページの前に、森の中で停車・修理中のトラックの絵があって、物陰からのぞいているちいさなくまがいます。続くタイトルページは、そのくまがまんまと荷台に乗り込もうとしている場面が、さりげなく。ここからすでに物語がはじまっているのですね。
おひるねから目覚めてみると、くまのトラックは、知らない都会の真っ只中。 途方にくれて泣いているところをぼくが見つけて、親切になぐさめ、 「きみをおくってあげよう。おうちはどこ?」 「ぼくのおうちはきのはえているところだよ」 一緒におうちをさがしに出かけます。 大きなくまよりうんと小さなぼくですが、うんと頼りになる大きなおにいちゃんみたいです。
思い当たる場所をあちこちつきそってめぐるついでに、公園でそのまま遊んだりして、なかなか楽しいひとときを過ごして・・・遊び疲れたぼくとくまは、くまがまいごなんだ、ということを思い出しました。 ぼくはくまを図書館に連れて行き、そこでくまのおうちをとうとう見つけ出すと、急いでくまの森へ行くバスに飛び乗って・・・。
ぼくとくまの都会を旅する風景を切り取って並べたような、大きな四角い枠の中に、淡いカラーのイラストがおさめられています。その枠の上と下に、ぼくのおしゃべりのような短いテキスト。ぼくのナレーション入りドキュメンタリー、くまくんのまいご編、という感じです。ほほえましいどんでん返しの最後には、読み手の中で楽しい続編もできるかな?
おぼろな夢のように淡く描かれた都会の風景の中の人々は、普通なら都会にいるはずのないくまが見えているのかいないのか、さわらぬ神に、を決め込んでいるのか、ほとんど無頓着無関心で、どことなくユーモラスで笑えます。それに対して、街角にたたずむ一見無口で雅なものたち・・・例えば噴水の石像や、図書館の壁画などなどに、くまへの同情、共感の表情や、さりげなく一緒に泣いたり悩んだりしている場面が描きこまれているので、もっと奥深く物語を楽しむこともできそうです。何気ない繰り返しの構図にも注目。
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『くまくんのじてんしゃ』 エミリー・ウォレン・マクラウドぶん デイビッド・マクフェイルえ 清水真砂子訳 アリス館 1976年 品切れ
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午後になるとぼくらは自転車乗りに出かけます。 道路はいろんな人がいて、車がいて、犬がいて、いろんなものが落ちていたり、坂があったりするから、きちんと気をつけなくてはなりません。 そうしないと・・・!
くまくんみたいになってしまいますよ!
一目瞭然、抱腹絶倒、おかしなおかしなぼくとくまくんの自転車街乗りお手本絵本。
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原書は『THE BEAR'S BICYCLE』1975 Little,Brown and Company,Inc.,Boston とあります。 アマゾン洋書ではこちらなど。↓今も版を重ね続けているようです!
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『The Bear's Bicycle (ペーパーバック)』 Little Brown & Co (Juv Pap); Reprint版 (1986/10)
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邦訳と同じ表紙です。これこれこれ! アマゾン洋書では中身も一部見られます。中身は最初の、ぼくがぬいぐるみのくまくんを抱きおろしているところ。
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丹念に描きこまれた銅版画のような白黒の絵に、部分的にほんのりと明るい色彩をほどこした、クラシカルなイラスト。 少年のかぶっている、ほおずきみたいな、かぼちゃみたいな、王冠みたいなふくらみを保った、赤紫色の帽子がおしゃれ。 もっとしゃれているのは、現実とも夢とも想像とも皮肉とも教訓ともみせしめともつかないとぼけた絵!大真面目な文章を帽子よりももっともっと大胆奇抜にふくらませ、自由気ままでいて思惑通りにぴしゃりと描いた、生真面目に痛快な絵がたまりません。
ごごになるとぼくらはまいにち じてんしゃのりにでかけます。
ぼくらって、誰だろ?もしかして帽子のぼくと、ぼくが抱えて地面に下ろしているぬいぐるみのくまくんのことかな?
タイヤはパンクしていないか、ブレーキはよくきくか、 ・・・ きちんとてんけんをすませてから・・・
よいこのための自転車講座、みたいなテキストには、その名がこれっぽっちもでてきませんが、ちゃんと自分の補助輪付き自転車の前輪を点検している僕の背後から、もう一台の小さい補助輪付き自転車をそーっとつかみあげる、にゅーと突き出た毛むくじゃらの腕があります。その隣の絵では、念入りに後輪を点検している僕を尻目に、とっととまたがろうしている大グマがいます。 その可愛らしいコマあり自転車とのっそり大クマの図体の対比ときたら、さっきからすがたの見えないぬいぐるみの比ではありません。サーカスの曲芸みたい、小象の玉乗りみたい、絶対こわれるってば、つぶれるってば(あーあ、コマがほとんどへしゃげてます)!
ともあれ、さあ、しゅっぱーつ! でも道路には危険がいっぱい。 そこでぼくと大グマが、さまざまな危険の例を示しながら、どうすればいいか、注意していなかったらどうなってしまうのか、ひとめでよくわかるお手本を見せてくれます。もちろんぴしりときめたよいお手本はぼく、ぴしゃりとやられた悪いお手本は気の毒な大グマのだれかさん。あ、気の毒なのは、大グマに体当たりされたりふっとばされたりぺしゃんこにされたりした車や人や自転車たちのことでしたね)
絵と文の間合い、耳から聞き入れ目から受け止める情報の落差の痛烈なユーモアをお楽しみください。脇役の登場人物たちが、ぼうしや上着できちんとめかしこんでいたりするのに対して、どこのウマのホネともつかない(?)大グマくんが、どうしようもなくケダモノに描かれていて、抱腹絶倒。 遊び心も満載です。 余談ですが、デービット・マクフェイルさんは二人の子どもがいるそうですから、もしかすると本文中に登場している二人の子連れのひげの男の人は、ご本人かなあ、なんて勝手に思いをめぐらせたり。
かなりかなりお気に入りの一冊なので、ぜひとも復刊希望です!
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