■デイジー・ムラースコヴァーさんの絵本 |
1923年プラハ生まれの画家、絵本作家。母はイギリス人で父はチェコ人。プラハの工芸大学で学び、同級生の画家イジー=ムラーゼックと結婚し、一男一女の母。最近の邦訳では『リスとアリとゾウ』(BL出版) がある。 (『火よう日のおはなし』偕成社 著者紹介より) |
『リスとアリとゾウ』*『火よう日のおはなし』*『ぼくのくまくんフローラ』 |
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『リスとアリとゾウ』 デイジー・ムラースコヴァー作 関沢明子訳 BL出版 2006年
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ちいさなリスが、森のほらあなでゾウとアリといっしょにくらしていました。大きすぎるゾウは小さすぎる何もかもに時々文句を言い、小さすぎるアリは大きすぎるあれこれに時々泣き言を言いました。けれど、リスはふたりが好きでした。3人の暮らしが好きでした。
そんなある日、リスは猟師にさらわれて・・・。
濃厚な色と筆の美しい絵と、波のように繰り返す穏やかな文で、リスとアリとゾウの異色の、そして本当の友情をはぐくんでゆく静かな物語。
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ちいさなリスが、森のなかで、ゾウとアリといっしょにくらしていました。 ゾウとアリといっしょに、ですって? そう、ゾウとアリといっしょに、ほらあなのなかでくらしていたのです。
リスがそうじをすると、 「どうしてそうじをするの?ごみなんかないじゃないか」 と、大きなゾウは文句をいい、 「これでそうじをしたつもり?ごみだらけじゃないか」 と小さなアリはけちをつけました。 ピクニックに行けば、大きなゾウは近すぎてものたりず、小さなアリは遠すぎて景色も見えません。 ・・・
「あのゾウはあんたには大きすぎるし、あのアリは、あんたには小さすぎるわ」 べつのリスがいいました。 でもリスはいいました。 「わたしは、あのふたりがすきなの」
そんなある朝、リスが一人で家にいると、猟師がやってきて、リスをつかまえてしまいました。 リスは助けを呼んだけれど、ゾウも、アリもるすでした。 ・・・
大きいもの、小さいもの、中心にある中くらいのもの。ワルツのように優雅にゆっくりと進むテキストに、濃厚な色彩のしっとりと沈んだ美しいイラストの添えられた絵本。 左のページのテキストの上部に、シンプルな白黒の線画のカットがあり、右のページ一面に、深く色づく森を濃縮したような美しいカラーイラストの世界が静かに広がっています。
大きいもの、小さいもの、仲を取り持つ中くらいのもの。ひたひたと潮が満ちるように進むテキストはリズミカルで、このままずっと聞いていたいけれど、ひとつひとつ寓話的に描かれている三人のエピソードはどこか不協和音、そっぽをむいているようで・・・このままでずっといいのかな・・・。読み手がそわそわしはじめた頃、リスが連れ去られる事件がおこります。
リスはふたりがすきでした。でも、ふたりは? リスがいなくなって、アリは何を考えたでしょう?ゾウは? テキストはさらりしていて、余計な説明や飾りなどありませんが、深い色の絵が、三人の絆や読む人のいろいろな思いを映し出してくれるよう。
大きいがゆえにできないこと、大きいからこそできること。 小さいがゆえにできないこと、小さいからこそできること。 お互いにできないことを補って、できることを足しあって、みんなで力を合わせたら、これまでよりもっとしあわせな毎日がやってくるかも。
森の秘密をのぞくような深い苔色の色彩の中で、リスの清楚な白いドレスが、ふんわりとまぶしく輝いているよう。さわやかで満ち足りた余韻が、静かに心に残る絵本。
チェコを代表する著名な画家、ムラースコヴァーさんは1970年代を中心に、子どものためにお話を書き、挿絵も描きました。そうした絵本は11冊。 (『リスとアリとゾウ』帯、本文著者紹介 より) その貴重な一冊が『リスとアリとゾウ』なのですね。 原書は『Slon a mravenec』1982 Albatros とあります。
ちなみに、ムラースコヴァーさんのイラストの技法で、シダの葉の葉脈のような(?)、流麗でとても印象的な技法(※「デカルコマニー」というそうです)を見たとき、イジー・トルンカさんの『ほたるの子ミオ』(メルヘン社)を思い出しました。
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『ほたるの子ミオ』 マックス・ボリガー文 イジー・トゥルンカ絵 矢川澄子訳 メルヘン社 1981年
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幻のように澄んで、夢のように美しいほたるの子の物語。 アマゾンなどで購入可能です!
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(※「デカルコマニー」・・・紙に絵の具を塗り、二つ折りにしたり、上から別の紙を押し当てたりして、それをはがしたときにできる、偶然の模様や形を得る画法。シュールレアリスムなどで用いられる。 参照;大辞林 第二版 (三省堂))
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『火よう日の おはなし』 デイジー=ムラースコバーさく ちのえいいちやく 偕成社 品切れ 1981年
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火よう日の精は、公園で物思いに沈むおばあさんを見つけました。 おばあさんは、子どもの頃に、大切なお人形をなくしてしまったのです。 火よう日の精は、火よう日に起きたその出来事の続きのお話を知っていました。 ・・・
時も場所もこえて、人形のもたらした不思議なつながりをたどる、忘れがたい物語。 美しく繊細なイラストが、幻想的な世界に導いてくれます。
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火よう日のあさは、それはすばらしいあさでした。ばらいろの空に、シュークリームのような白いくもが一つ二つとうかんでいました。 火よう日の精は、もっとすばらしい一日にするために、飛び回ります。
「世界じゅうの人が、しあわせにくらしているかな・・・。 おや、あのおばあさんは、なんだかとってもさみしそうだぞ。」
おばあさんはいま、公園のベンチで物思いに沈み、子どもの頃になくしてしまった、母さんの手作りのきぬのお人形のことを考えているのでした。 火よう日の精は、その話の続きをよく知っています。なぜならそれは、昔、火よう日に起こった出来事だったから。 「ねえおばあさん、こういうはなしは、ないしょにしておいたほうがいいんだけど、そっとおしえてあげましょう。・・・」
火よう日の精は、静かに語り始めます。 ある火よう日におばあさんのかごから消えた、お人形のたどる数奇な運命を。 ・・・
おばあさんの初めて知る、お人形の小さな冒険。おばあさんから誰かへ、誰かからまた誰かへ、手から手へ、そして、心から心へ。お人形のつむぐ見えない糸が、続いて、つながって・・・。
詩情豊かなテキストに、すうっとのびやかな筆のあともみずみずしい、かろやかな色調のイラスト。 繊細な線画に、青みがかった甘いピンク色、不思議なばら色、緑色。しっとりと、美しくひなびて、過ぎ去った時間に、やさしいベールをかけているよう。
一読で心にすとんと落ちてきました。 一週間に一度、火よう日にしかこの世にやってこられない、火よう日の精、というモチーフも不思議をかきたてます。 おばあさんが少女だった昔に・・・という場面も、憂いをおびて、甘く切ない郷愁を誘います。 火よう日の精、それはどんな姿、どんな色をしているのでしょう。 森をわたる風のように、空を染める光のように、美しく繊細で、神秘的なイメージ。 『かようびのおはなし』そのもののイメージと私の中で重なります。 もういちど、復刊となって、火よう日に本棚にやってきてくれたら、本当にいいのになあ・・・。
原書は『NADHERNE UTERY:CILI CLECNA BRAMBRURKOVA CHODI PO SVETE』1977 Albatros とあります。(正確な表記ができなくてごめんなさい)
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『ぼくのくまくん フローラ』 デイジー=ムラースコバーさく・え ちのえいいちやく 偕成社 1979年 品切れ |
フローラはペトルが雪の日拾ってきたコアラ・ベアのぬいぐるみ。でも洗ってつくろって洋服を着せたら、みちがえるようにきれいになって、家中の大切な人気者。
ただのふるいぬいぐるみじゃないかって? そんなこと、かまいやしません。 しあわせなんですから。そうでしょ?
こっくりしたあたたかなタッチで美しく丁寧に描かれた小さな物語。
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原書は『MUJ MEDVED FLORA 』Albatros 1973、とあります。(正確な表記ができなくてごめんなさい)
捨てられていたぼろぼろのコアラ・ベアのぬいぐるみを拾って持ち帰り、洗って直してすっかりきれいにして、大切な新しい家族の一員のように迎えた、男の子の一家の物語。 フローラを交えた家族の、心温まるやりとりが、ひとつひとつゆっくりと丹念に描かれています。 小さな版型の、愛らしい絵本。
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