■新読書社・プログレス出版所(モスクワ)・ラードガ出版所(モスクワ)

『ソビエトの子どもの本』シリーズ3


新読書社と当時のプログレス出版所(モスクワ)、あるいはラードガ出版所(モスクワ)、マルイシ出版との共同出版として主として1990年代に発行された絵本たち、読み物たちを集めました。製本も紙質も印刷も、当時のソビエトの香りを伝えるもので、今より技術的には劣りますが、とてもレトロで素朴なぬくもりがあります。
もし図書館などでごらんになり、お気に召しましたら、状態や在庫など、直接版元の新読書社さんか、オンライン書店・プレシャスブックスさん、オンライン書店海ねこさんなどにお問い合わせくださいね。ネット書店などで購入可能のものもあります!

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***『ヤドカリとバラ』*『まほうのゆびわ』*『アリとハト』*『赤い花と美しい娘と怪物の物語』*『ちいさなおうち』*『おかあさんやぎが、やっとおうちをたてました』*

 
■『ヤドカリとバラ』新読書社・ラードガ出版所

『ヤドカリとバラ』ボリス・ザボデール作 カリノフスキー絵 ばばともこ訳 新読書社・ラードガ出版所

『ヤドカリと
バラ』
ボリス・ザホデール作
カリノフスキー絵
ばばともこやく
新読書社・
ラードガ出版所
1990年

オンライン書店ビーケーワン:ヤドカリとバラ 

あおい海に小さなヤドカリの子どもが住んでいました。かれは、とてもふしあわせだったので、なぜ海が青いといわれるのか、まったく分かりませんでした。ヤドカリにすれば、海は、灰色そのものに思えたからです。

こうしてはじまる物語の最初のまとまり「T」で、しあわせに必要なものは、10本の足も考える頭もなにもかも持っているのに、まだ固い殻だけ持っていないヤドカリの、殻探しの小さな旅が始まります。やっとぴったりの貝殻を見つけたヤドカリは、もう、タノオトシゴに皮肉を言われても、怒りませんでした。

「さて、きみは、しあわせにひつようなものを、ぜんぶもっているときには、じょうだんを言われても、がまんできるね、そうだね。」

時折作者の語りかけるようにさしはさまれる、ウィットと含蓄に富んだあたたかい言葉がきらきら光をはなっています。

そしてつぎのまとまり「U」では、それでも不思議に幸せになれず、海を灰色のままに感じるヤドカリの子の、さらなる幸せさがしがはじまります。
「るりいろ、そらいろ、エメラルド色、あおいやぐるまぎくのいろの青い海が、どうしてぼくだけそう見えないのだろう?」
「それは、おまえが一人だからだよ」
と、かしこいイルカが教えてくれました。
そこで、ヤドカリの子はともだちをさがしにでかけます・・・。

「V」
そしてついに、物語が大きく動き出します。
ヤドカリの子は、つぎつぎと出会うさまざまな海の生き物たちに、友だちになれるかどうかたずねてまわりますが、食べられそうになったりこわがられたり、なかなか本当の友だちは見つかりません。

「W」
そんなとき、ヤドカリは、自分と同じように海が灰色で一人ぼっちで悲しんでいる、うみのバラ(イソギンチャク)と出会います。
動けないバラを、ヤドカリは自分の背に乗せて、二人にぴったりのともだちを探しに、二人は一緒に出発します。

「X」
「わたし知っているわ。ほんとうのともだちは、まっかな町にいるのよ。」
バラの言葉を信じて、ヤドカリとバラは、七つの海の向こう、その名を口にするのもおそろしい天敵のK夫人の縄張りを越えたところにあるという、まっかな町への苦難の道を歩きはじめます・・・。

さらに、「Y」「Z」・・・と続いていく、静かでやさしい語りと、さりげないウィットのちりばめられた物語を読み終えたとき、見える海の色は・・・。
幸せとは何か、友だちとは何か、何度でも繰り返し読みたい、不思議な印象のさわやかな絵本。

『ヤドカリとバラ』ボリス・ザボデール作 カリノフスキー絵 ばばともこ訳 新読書社・ラードガ出版所

テキストの作者、ボリス・ザホデールさんは、1918年生まれ。戦争の志願兵として出征したが、その間にも詩作を行い、戦後、「海戦」というユーモラスな詩で児童文学者としてデビュー。

「苦しい時代に育った作者にとって、"ほほえみ"がなによりも大切だった。"ほほえみは、意思、忍耐、勇気の体現である"のはあきらかだ。」
と『ヤドカリとバラ』折込の著者紹介にあります。

また、『不思議の国のアリス』など、多くの児童文学作品の翻訳も行っているそうです。

ヤドカリとバラ』は、ボリス・ザホデールさんの詩情あふれる珠玉の短編が、あまり目にしたことのないような新鮮でさわやかなタッチのカリノフスキーさんの挿絵とともに、1冊の読み物にまとめられた絵物語。

収録作品は表題の「ヤドカリとバラ」のほか、5編。
「はいいろのおほしさま」
「ちびうさぎ」
「なぜおんどりは3かいなくの」
「きつねのさいばん」
「うたをうたうおおかみ」

なかでも、青を基調とした、細かな泡のしゅわしゅわとはじけるような独特の線画の印象的な、表題の「ヤドカリとバラ」は、イラスト、テキストともに忘れがたい物語です。(←左にあらすじを少し。ぜひ図書館などでお読みになってくださいね)

さらに、はりねずみの父が息子におやすみ前のお話を語って聞かせるという語りの形式でしたためられた、一匹のひきがえるの無垢で切ない物語「はいいろのおほしさま」も、読むたびに新しい発見があるような、心に残る静かな短編です。

美しい花たちは、自分の天敵の虫たちを食べてくれるひきがえるが大好きでした。このひきがえるはまだ小さくて、客観的な自分の姿を知らず、まだ名前がなかったので、花たち、そして賢いムクドリから、「はいいろのおほしさま」という名前をもらいました。それは、ひきがえるの目がきらきらと純粋だったからです。

ところが、そのことをよく思わない、花や葉っぱを食べたり荒らしたりする花の敵の虫たち、ちょうちょうの幼虫やなめくじ、そしてちょうちょうたちは、はいいろのおほしさまに醜い自分の現実を知らしめて、こらしめようとこっそりたくらんで・・・。

はいいろのおほしさま」のイラストは、また趣の異なる淡くて華やかな色彩が、印象的な作品です。

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■『まほうのゆびわ』新読書社・ラードガ出版所

『まほうのゆびわ』ロシア民話集 アファナーシェフ編 A.クルキン絵 佐藤靖彦訳 新読書社・ラードガ出版所

『まほうのゆびわ』
ロシア民話集
アファナーシェフ編
A.クルキン絵
佐藤靖彦訳
新読書社・ラードガ出版所
1990年

オンライン書店ビーケーワン:まほうのゆびわ 

『ロシア民話集』など、数多いロシア民話の編纂で知られる、アレクサンドル・アファナーシェフ(1826-1871)の再話によるさまざまなテキストを、クルキンが民族の香り豊かに、きわめて芸術的な挿絵をそえた、贅沢な1冊。

昔からロシアの人々に愛され親しまれ語り継がれてきた、大らかでのびのびとした昔話、皮肉のきいた動物知恵話、お城や美しい王女、金銀宝石に、不思議な魔法のでてくる、きらびやかな冒険物語・・・と、豊かな自然とさまざまな民族の限りない想像力がつむぎだす、ドラマティックな物語が、全部で33編、タペストリーのように一枚一枚美しい挿絵とともにおさめられています。

「きつねよおおかみ」
「きつねとうさぎとおんどり」
「パンケーキ」
「ねこときつね」
「きもをつぶしたおおかみ」
「はえの御殿」
「金のさかな」
「魔女とお日さまのいもうと」
「ふたりのむすめ」
「バーバ・ヤガー(魔法つかい)」
「うつくしいむすめワシリーサ」
「イワーシコと魔女」
「王子とけらい」
「空とぶ船」
「皮なめしのニキータ」
「不死身のコシチェィ」
「金持ちコジマ」
「イワン王子と火の鳥と灰色おおかみ」
「あし毛になった、くり毛にもなる黒毛の馬」
「たからもの」
「「ふくろから二人でてこい!」」
「まほうのゆびわ」
「まほうのかがみ」
「足がひざまで金色で、手がひじまで銀色で」
「アリョーヌシカとイワーヌシカ」
「かえるの王女」
「せともの屋」
「かしこいこたえ」
「森で皇帝をたすけた兵隊」
「りこうなむすめ」
「うらないの名人」
「盗賊」
「かしこいお百姓」

『まほうのゆびわ』ロシア民話集 アファナーシェフ編 A.クルキン絵 佐藤靖彦訳 新読書社・ラードガ出版所

黒や、青など、シックな色を一面の背景に、華やかな物語のあらすじを巻物ように一枚の絵の中に順におりまぜた、物語と絵の響きあうすばらしい挿絵が、見るものを魅了してやみません。

壮大で爽快、表情豊かで、人情に富み、浪漫チックでファンタジックなロシアの民話の、生き生きとした語り口にも聞き入るばかり。

・・・イワン王子は、どこへとも知らず馬で出発しました。
道のりが近かったか、遠かったか、低かったか、高かったか、口で言うことはかんたんですが、その旅はじっさいには大へんなことなのです。それでもついに広い緑の草原にやってきました・・・「イワン王子と火の鳥と灰色おおかみ」より

ロシアの魔法民話などに時折くりかえしあらわれる、どこか几帳面なこのフレーズが、語り手の息づかい、聞き手の熱意をも感じるようで、個人的にとても好きです。

1冊の本にたくさんの読み応えのあるテキストがたっぷりおさめられているので、文字数もかなり多く、大きい子から大人向きですが、美しいロシア民話の世界にゆっくりとひたりたいひとときに、ぜひお読みになってくださいね。

オンライン書店海ねこさんでは、クルキンさんの挿絵のその他のアファナーシェフ編ロシア民話の英語洋書などなど、近年のロシアのアート絵本のお取り扱いが豊富ですので、必見!

ちなみに、クルキンさんの洋書をアマゾンで検索するとこちら

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■『アリとハト』新読書社・ラドガ出版所

『アリとハト』レフ・トルストイ ミハイル・ロマージン絵 やまむらゆきやく 新読書社・ラドガ出版所

『アリとハト』
レフ・トルストイ
ミハイル・ロマージン絵
やまむらゆき訳
新読書社・ラドガ出版所
1991年
税込み価格 1,275 円
(本体 1,214円)

オンライン書店ビーケーワン:アリとハト

偉大なロシアの作家、レフ・ニコラーエビッチ・トルストイが、モスクワ近郊の故郷・ヤースナヤ・ポリャーナ村の農民の子どもたちの教育のために残した、こどものためのすぐれた教科書『アーズブカ(綴り字教科書)』と、『ロシア読本』。(初版1874-1875)
トルストイは、子どもたちの教育に情熱をかたむけ、これら子どもの本のために、古代文学や世界の民族風習などの膨大な資料に目を通し、選び抜いた作品たちを、やさしいものからむずかしいものへと、子どもが順に無理なくロシア語を習得していくように、考え抜いて配列しました。

人々が作品の登場人物の行いを楽しく笑い、そして笑えば笑うほど、かしこくなっていく古代イソップ寓話たちを、ロシアの子どもたちのためにたくさん紹介した一人が、トルストイです。

トルストイは、イソップ寓話を正確にとらえるために、古代ギリシャ語を学び、たくさんの書物を読みました。そしてただ訳すのではなく、舞台を身近な世界に移し変えて、民話風にことわざ風に世間話風に、自分の作品としてとりこみました。ふつう、古代の寓話はひとつの結論や教訓で終わっているものですが、子どもの理解する力を信じたトルストイは、物語の背景や登場人物の性格はそのままに、その終わり方をやめています。

トルストイが好んで訳した古代ギリシャの賢人イソップの寓話たちを、トルストイが出版する際に準備したやり方で配列し、1冊にまとめて、力強く色鮮やかなイラストを随所に添えた1冊が本書『アリとハト』です。

(エドゥアールド・ババーエフの「まえがき」を参照にしました)

『アリとハト』レフ・トルストイ ミハイル・ロマージン絵 やまむらゆきやく 新読書社・ラドガ出版所

誰でも知っているイソップ寓話、
「うそつき・・・オオカミがきた、と二度三度うそをついて村人をからかった羊番が、本当のオオカミが来たときに助けてもらえなかったお話」
「きつねとぶどう・・・どうしても取れない高所の熟したぶどうをあきらめざるを得ないキツネが、腹立ち紛れに、『ふん、あのぶどうはまだ青いじゃないか』と、言ったお話」
「太陽と風・・・どちらが人間の服をぬがせられるか、吹き飛ばそうとして余計しっかり服をおさえられた風と、ぽかぽかあたためて自ら脱がせてしまった太陽のお話」

そして、いつかどこかで聞いたことがあるような、皮肉や鋭い教訓を秘めた簡潔なお話、
「アリとハト・・・あるとき小川でおぼれかけていたアリにつかまる枝を投げて助けたハトが、今度は猟師の網に捕まったとき、アリが猟師の足にかみついて助かったお話」
「オオカミとおぱあさん・・・家の中でおばあさんが泣いている男の子に、『泣き止まないんだったらオオカミにくれてやりますよ』といっている声を通りすがりに聞いて、子どもをくれるのを待ちつづけていたオオカミが、今度は『もうなくのはおよし。オオカミがきたらやっつけてあげるから』と言っているのを聞いて、『どうも、ここじゃ、いっていることとすることがばらばらなようだ』と、立ち去るお話」
「シカ・・・水にうつる自分の姿を見て、りっぱなつのにほれぼれするも、『足はよわよわしくてだめだな』と思ったとき、ライオンが現れて、草原から森に駆け込む際に木の枝が自慢のつのにひっかかり、結局つかまったシカが、死ぬ間際に言いました。『ぼくはなんてばかなんだろう、よわよわしいとおもっていたものがたすけとなり、よろこばせてくれたものが、いのちとりになるなんて』」

などなど、1ページ程度の簡潔な寓話が、そのお話を見事に一場面にとらえた挿絵とともに、100編余りもおさめられた、小ぶりで持ち運びしやすい1冊。ミハイル・ロマージンさんの版画調のイラストが力強く、青や緑の色調の美しさがすっきりと美しく映えています。
当時のソビエトの印刷、製版による味わいも素朴でぬくもりのある、愛すべき1冊。

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■『赤い花と美しい娘と怪物の物語』新読書社

『赤い花と美しい娘と怪物の物語』 セルゲイ・アクサーコフ作 マイ・ミトゥーリチ絵 松谷さやか訳 新読書社

『赤い花と美しい娘と怪物の物語』
セルゲイ アクサーコフ作
マイ ミトゥーリチ絵
松谷 さやか訳
新読書社
2000年
税込価格 1,680円
(本体 1,600円)

オンライン書店ビーケーワン:赤い花と美しい娘と怪物の物語

ロシア番『美女と野獣』ともいうべき、美しい清らかな娘と、魔法をかけられた醜い怪物の、いつしか貴い愛情をつむいだ奇跡のような物語。

むかしむかし、ある王国に、お金持ちで身分の高い人がいて、金銀宝石よりも大切にしている絵に描いたように美しい三人の娘がいました。あるとき商人は遠い海の向こうで商いをすることになったので、おみやげに何がいいか一人ずつ望みを聞きました。
三日三晩考え抜いた後、いちばん上の娘は、言いました。

「わたしの大切なお父さま!わたしは金や銀のにしきも、黒てんの毛皮も、真珠もいりません。そのかわり、宝石をちりばめた金のかんむりがほしいのです。満月や、明るいお日様のように光り輝いて、暗いよるをひるまのように明るく照らすような、そんなかんむりをおねがいします。」

二ばんめの娘は言いました。
「わたしの大切なお父さま!わたしは金や銀のにしきも、シベリヤの黒てんの毛皮も、真珠の首かざりも、宝石をちりばめた金のかんむりもいりません。そのかわり、東の国の、みごとな水晶の一枚石でできた、鏡がほしいのです。この世の美しいものがなにもかも見えて、のぞいたらわたしは年もとらないで、ますます美しい娘になれる、そんな鏡をお願いいたします。」

とくべつに気立てのいい三ばんめの娘はいいました。
「わたしの大切なお父さま!わたしは、金や銀のにしきも、シベリヤの黒てんの毛皮も、首かざりも、宝石のかんむりも、東の国の、水晶の鏡もいりません。そのかわり、この世でいちばん美しい、赤い花を一りんおねがいします。」

この世でいちばん美しい赤い花・・・、それはどんなにお金持ちの商人でも、手に入れることがむつかしいおみやげでした。赤い花はすぐに見つけても、その花がこの世でいちばん美しいかどうか、どうやったらわかるのでしょう?

しかし商人は心を決め、旅立つ支度をはじめました。そのしたくにどれだけの時間がかかったのか、それはわかりません。お話ではどんどん進みますが、ほんとうは、そう早くはいきません。

やがて旅に出た商人は、順調に商いを行い、上のふたりの娘へのおみやげを探し当てました。
ところが、末娘へのおみやげの赤い花を探しているうちに、盗賊におそわれ、命からがら一人で深い森に逃げ込みます。そしていつしか導かれるように、見たことも聞いたこともないような、美しく立派な宮殿に迷い込み、見えないあるじの魔法のようなもてなしを受け、そして、これがそうだと思えるような、この世でいちばん美しい赤い花を見つけたのでした。

末娘のために庭園のその花をつみとったとき、とつぜん、けものでもなければ人間でもない、毛むくじゃらの恐ろしい怪物がぬっとすがたをあらわして・・・。

原書は『АЛНИКИЙ ЧВЕТОЧЕК』МАЛЫШ(マルイシ出版)1985年、とあります。
ひかえめな表紙を開くと、めくるめく美しい魔法昔話の世界が、雪解け水のように澄んでとどまることなくとうとうと、すべらかに清らかに流れ始めます。

世界中にさまざまな類話のあるこの物語を、19世紀半ばに活躍したロシアの作家セルゲイ・チモーフェーヴィチ・アクサーコフ(1791-1859)は、ロシアの香り高く、気品あふれる芸術的な作品に仕上げました。

左に引用したおみやげの文章の一部を読むだけでも、その文章の麗しさ、みずみずしさ、繰り返しのリズムの心地よさが、おわかりいただけるのでは、と思います。
訳者の松谷さやかさんの訳文もなめらかですばらしく、水晶のようにきらきらと澄みきって輝くテキストを読むと、頭の中に音楽のように不思議なおとぎ話の世界が奏でられます。
この世でいちばん美しい赤い花のように、この世でいちばん美しい昔話の1冊かもしれません。

静かで、ひかえめで、つつしみぶかく、ひたむきで、しなやかで、美しい末娘によりそうように、マイ・ミトゥーリチさんがみずみずしいイラストを添えています。

また、この作品では、最初怪物はなかなか姿をあらわさず、不思議な壁の手紙で心の会話を交わしています。
怪物は娘が宮殿に自らやってきた当初から、娘を「主人」と呼び、手厚くもてなしを施し続けるのですが、それは、いつしか、「じぶんのことよりも娘を愛しているからだ」と、怪物に心をひらいてきた娘にも分かり始めます。

そうすると本当の怪物と会いたくなった娘は、せめて声だけでもと頼み込んで、その恐ろしい声にもなじんだ頃、今度は姿も・・・、と、懇願します。

一つ一つ丁寧に順を追って描かれていて、それでも怪物を慕う気持のゆるがない娘の心の美しさ強さがきわだつのはもちろん、怪物の心の逡巡・・・自分の醜さを目の前につきつければ、姿を知らぬがゆえの娘の自分への淡い思慕が決定的にくつがえされ、自分はうちのめされるにちがいない・・・という千々に乱れる心を、うきぼりにしています。
結局、
「あなたをじぶんのことよりもあいしているから、もうことわりきれません」
と、娘の頼みに応じて、娘のかわらぬ心にいちるの望みを賭けつつも、よしんば心変わりしたとしても娘をゆるし、自分は朽ち果てよう・・・と切ない決意をして、怪物は娘の前にその姿を明らかにします。その豊かな人間性までも読み手の前に明らかにして、心をつかんではなしません。

このように、さまざまなエピソードをふくらませ、娘と怪物の心のひだまでも美しくよみがえらせながら、なおかつ昔話のもつ大らかさ、普遍性を失わず、読み手の心を魅了する美しい読み物です。

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■『ちいさなおうち』新読書社・マルイシ出版

『ちいさなおうち』ミハイル・ブラートフ再話 カルペンコ絵 内山紀子訳 新読書社・マルイシ出版

『ちいさなおうち』
ロシア民話
ミハイル・ブラートフ再話
M.カルペンコ絵
内山紀子絵
新読書社・マルイシ出版
1996年翻訳
税込価格 1,208円
(本体 1,150円)

オンライン書店ビーケーワン:ちいさなおうち 

のはらにちいさなおうちがたっていました。
あなくらねずみがそばをとおりかかって、たずねました。
「おうちさん、おうちさん!だれがなかにすんでいるの?」
だれもへんじをしません。
ねずみはそこでくらすことにしました。

そこへケロケロがえるがとんできてたずねました。
「おうちさん、おうちさん!だれがなかにすんでいるの?」
「わたしよ、あなぐらねずみよ!あなたはだーれ?」
「わたしよ、ケロケロがえるよ!」
「おいでよ、いっしょにくらしましょうよ!」
かえるはねずみといっしょにくらすことになりました。

そこへピョンピョンうさぎがとおりかかり・・・。

『ちいさいおうち』ミハイル・ブラートフ再話 カルペンコ絵 内山紀子訳 新読書社・マルイシ出版

ロシア民話『てぶくろ』にも類似した、繰り返しの楽しい果て無し話が、新たに訪ねてきた動物たちがの浮き上がる、厚紙仕様の素朴な仕掛け絵本になりました。

カルペンコさんのやわらかなタッチの、民族医師用姿の動物たちの挿絵も素朴でなつかしい感じです。

みんながつぎつぎにやってきたちいさなおうちの結末は・・・たとえば『てぶくろ』(福音館書店 、ネット武蔵野 )とは異なっていて、読後感も違います。

原書は『ТЕРЕМОК』、1997年とありますので、ほぼ国際同時出版だったと思われます。

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■『おかあさんやぎが、やっとおうちをたてました』新読書社・マルイシ出版

『おかあさんやぎがやっとおうちをたてました』ロシア民話 おちあいかこやく 新読書社 マルイシ出版

『おかあさんやぎが、やっとおうちをたてました』
ロシア民話
おちあいかこやく
新読書社
マルイシ出版
1995年
税込価格 1,223円
(本体 1,165円)

オンライン書店ビーケーワン:おかあさんやぎが、やっとおうちをたてました 

仕事もしないでおしゃべりばかり、家に閉じ込められて草も水も与えないおばあさんから、おかあさんやぎがこやぎを連れて逃げ出しました。

さて、どこにおうちを建てましょう?
おかあさんやぎは、りんごの木にききました。

「りんごの木さん、りんごの木さん、あなたのそばにおうちをたてていいかしら?」
「いいえ、りんごがおっこちてこどもたちがけがをするから、どこかほかのところへおいきなさい」

それではと、つづいてまつの木にききました。
「まつの木さん、まつの木さん、あなたのそばにおうちをたてていいかしら?」
「いやいや、まつぼっくりがおっこちて、こどもたちにぶつかるから、もっといいところをさがしたほうがいいよ」

そこで、今度はくりの木に・・・。

『おかあさんやぎがやっとおうちをたてました』ロシア民話 おちあいかこやく 新読書社 マルイシ出版

登場人物を力強い輪郭線で描き、背景に美しいフォークロア調の模様をとりいれて、明るくにぎやかに、華やかに描いた、厚紙仕様の楽しい仕掛け絵本です。

おかあさんやぎと木たちの、うたうような問答の繰り返しも耳に心地よく、素朴な仕掛けも子どもたちを大いに楽しませてくれます。

ロシアの豊かな自然や、鮮やかな民族衣装の美しさも目を惹く、読み聞かせにもぴったりの愛らしい絵本。

原書は『КАК КОЗА ИЗЪУШКУ ПОСТРОИЛА』1992年、とあります。

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新読書社さんのお問合せ先はこちら。

電話 03−3814−6791
FAX 03−3814−3097
今回画像の掲載許可をいただくに当たってメールアドレスを教えてくださいました。ご注文・お問い合わせなどは上記またはこちら

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