あおい海に小さなヤドカリの子どもが住んでいました。かれは、とてもふしあわせだったので、なぜ海が青いといわれるのか、まったく分かりませんでした。ヤドカリにすれば、海は、灰色そのものに思えたからです。
こうしてはじまる物語の最初のまとまり「T」で、しあわせに必要なものは、10本の足も考える頭もなにもかも持っているのに、まだ固い殻だけ持っていないヤドカリの、殻探しの小さな旅が始まります。やっとぴったりの貝殻を見つけたヤドカリは、もう、タノオトシゴに皮肉を言われても、怒りませんでした。
「さて、きみは、しあわせにひつようなものを、ぜんぶもっているときには、じょうだんを言われても、がまんできるね、そうだね。」
時折作者の語りかけるようにさしはさまれる、ウィットと含蓄に富んだあたたかい言葉がきらきら光をはなっています。
そしてつぎのまとまり「U」では、それでも不思議に幸せになれず、海を灰色のままに感じるヤドカリの子の、さらなる幸せさがしがはじまります。 「るりいろ、そらいろ、エメラルド色、あおいやぐるまぎくのいろの青い海が、どうしてぼくだけそう見えないのだろう?」 「それは、おまえが一人だからだよ」 と、かしこいイルカが教えてくれました。 そこで、ヤドカリの子はともだちをさがしにでかけます・・・。
「V」 そしてついに、物語が大きく動き出します。 ヤドカリの子は、つぎつぎと出会うさまざまな海の生き物たちに、友だちになれるかどうかたずねてまわりますが、食べられそうになったりこわがられたり、なかなか本当の友だちは見つかりません。
「W」 そんなとき、ヤドカリは、自分と同じように海が灰色で一人ぼっちで悲しんでいる、うみのバラ(イソギンチャク)と出会います。 動けないバラを、ヤドカリは自分の背に乗せて、二人にぴったりのともだちを探しに、二人は一緒に出発します。
「X」 「わたし知っているわ。ほんとうのともだちは、まっかな町にいるのよ。」 バラの言葉を信じて、ヤドカリとバラは、七つの海の向こう、その名を口にするのもおそろしい天敵のK夫人の縄張りを越えたところにあるという、まっかな町への苦難の道を歩きはじめます・・・。
さらに、「Y」「Z」・・・と続いていく、静かでやさしい語りと、さりげないウィットのちりばめられた物語を読み終えたとき、見える海の色は・・・。 幸せとは何か、友だちとは何か、何度でも繰り返し読みたい、不思議な印象のさわやかな絵本。
|

テキストの作者、ボリス・ザホデールさんは、1918年生まれ。戦争の志願兵として出征したが、その間にも詩作を行い、戦後、「海戦」というユーモラスな詩で児童文学者としてデビュー。
「苦しい時代に育った作者にとって、"ほほえみ"がなによりも大切だった。"ほほえみは、意思、忍耐、勇気の体現である"のはあきらかだ。」 と『ヤドカリとバラ』折込の著者紹介にあります。
また、『不思議の国のアリス』など、多くの児童文学作品の翻訳も行っているそうです。
『ヤドカリとバラ』は、ボリス・ザホデールさんの詩情あふれる珠玉の短編が、あまり目にしたことのないような新鮮でさわやかなタッチのカリノフスキーさんの挿絵とともに、1冊の読み物にまとめられた絵物語。
収録作品は表題の「ヤドカリとバラ」のほか、5編。 「はいいろのおほしさま」 「ちびうさぎ」 「なぜおんどりは3かいなくの」 「きつねのさいばん」 「うたをうたうおおかみ」
なかでも、青を基調とした、細かな泡のしゅわしゅわとはじけるような独特の線画の印象的な、表題の「ヤドカリとバラ」は、イラスト、テキストともに忘れがたい物語です。(←左にあらすじを少し。ぜひ図書館などでお読みになってくださいね)
さらに、はりねずみの父が息子におやすみ前のお話を語って聞かせるという語りの形式でしたためられた、一匹のひきがえるの無垢で切ない物語「はいいろのおほしさま」も、読むたびに新しい発見があるような、心に残る静かな短編です。
美しい花たちは、自分の天敵の虫たちを食べてくれるひきがえるが大好きでした。このひきがえるはまだ小さくて、客観的な自分の姿を知らず、まだ名前がなかったので、花たち、そして賢いムクドリから、「はいいろのおほしさま」という名前をもらいました。それは、ひきがえるの目がきらきらと純粋だったからです。
ところが、そのことをよく思わない、花や葉っぱを食べたり荒らしたりする花の敵の虫たち、ちょうちょうの幼虫やなめくじ、そしてちょうちょうたちは、はいいろのおほしさまに醜い自分の現実を知らしめて、こらしめようとこっそりたくらんで・・・。
「はいいろのおほしさま」のイラストは、また趣の異なる淡くて華やかな色彩が、印象的な作品です。
|