■なかがわそうやさんの絵本
中川 宗弥 1932年朝鮮生まれ。東京芸術大学美術部油絵科卒業。作品に『ももいろのきりん』『ノンちゃん雲に乗る』『とらたとおおゆき』(以上福音館書店)など多数。
『ありこのおつかい』

 

『ありこのおつかい』福音館書店

オンライン書店ビーケーワン:ありこのおつかい

『ありこのおつかい』
いしいももこさく
なかがわそうやえ
福音館書店
1968年

赤ずきんちゃんならぬ、ありのありこのおつかいは、おかあさんの言いつけをちゃんと守らず、道草を食ってしまったばかりに、つるくさならぬかまきりのきりおに、ぺろりと食われてしまったのでした!

「ばかあ!」ありこはありこで、「とんちき!」きりおはきりおで、つぎつぎとぺろりとまるのみにされるたび、それぞれのおなかのなかで、悔しい気持ちを叫びますが、それがまたつぎつぎと、新たな食物連鎖を呼んで・・・。

昔話のように繰り返しとんとん拍子で進む巧みなテキストと、シンプルゆえに美しさと怖さがひきたつ奥の深いイラストで、耳から目から、新鮮な刺激が心地よく読み手をとらえます。
表紙にも裏表紙にも、遊び心がたっぷりこめられた、おしゃれな絵本。

淡いやわらかい色彩の、背の順にきちんとならぶ花のイラストが、すっきりととても印象的な表紙です。
主人公のかわいいかわいいありのありこちゃんが、小さな花の前を赤い帽子をかぶってかごをさげてせっせと歩いているのですが、おわかりいただけますでしょうか?

ありこちゃんの小ささと、ありこちゃんをとりまくものたちの大きさの対比、シンプルな花のイラストに象徴されるものの形の抽象的なとらえかた、そして段々に順々に規則性をもって並ぶリズミカルな楽しさ・・・物語を読むと、この表紙の持つ豊かな意味がよりいっそう引き立って、とても魅力的に感じます。

さて、この物語は初版なんと1968年とあり、現在も読み継がれているロングセラーなのですが、図書館でふと初めて借りて読んで見てびっくり、その大らかでぬきんでたおもしろさに納得しました!

ある日、ありのおかあさんが、もりのなかでおいしいくさのみをひろって、ありこにおつかいを頼みます。
「これをおばあちゃんにもっていっておあげ。みちくさをくわずに、まっすぐいって、まっすぐかえってくるんですよ。もりのなかには、おまえよりおおきいこわいものがたくさんいるからね。」
そこでありこは「はい」といって、あかいぼうしをかぶり、くさのみのはいったかごをさげて、うちをでました。
・・・。

グリム童話の「赤ずきんちゃん」を思わせる、わくわくする始まりですよね!

もちろんありこは森でまんまと道草をくって、花をつみつみ、なにやら木にまきついていたあおいつるくさをひっぱってしまいます。
それは、つるくさではなくて、なんとかまきりのきりおだったから、さあたいへん!

おこったきりおに追いかけられて、あやまったにもかかわらずありこはあわれ、かごも帽子ももろともぺろりと丸のみにされてしまいます!

ところで、白くすっきりと美しい表紙を開いた、見開きのページは真黒一色で、その際立つ対比にどこか不吉な予感も感じて、どきっとするのですが・・・、ありこがきりおにのみこまれた次のページの左テキストも、暗転、真黒一色になっています。
そして、その右側のイラストは、ありこがきりおの腹の中にいることをきわめて簡潔明瞭に、グラフィカルに象徴的に表すような、そしてどきっとするような小さな同心円。
ありこの帽子の赤色が、いちばん小さな中心の円で、そのまわりに橙色、そのまわりに空白が取り囲み、そしていちばん外側に黒色の円ががっちりと取り囲む・・・という、とても、暗示的なイラストになっています。

これが、直接ありこの姿を描いているわけでも、きりおのお腹の内部を描いているわけでもないのに、色調が違えばぺろぺろキャンディや的当てゲームの的のようにも思えるはずなのに、どこか恐ろしくて、こわい!
さらに、白いページ全体に対するこの同心円の意外にも思える小ささが・・・これからの物語の大きな展開を予感させて、なにやらびくびく、じゃなかったわくわく、コワイモノミタサと、とんとんと弾むように楽しいテキストも手伝って、つぎつぎとページをめくらずにはいられないのです!

ごめんなさいと言ったのに食べられたありこは、きりおのおなかのなかで憤懣さめやらず、
「ばかあ、ばかあ!」
と、抗議のさけびをあげつづけ、きりおとケンカしながら、きりおの歩むままどんどん先へ運ばれます。

するとむこうから、むくどりのむくすけがやってきたのですが、むくどりはきりおの中から聞こえる、「ばかあ」の叫び声を聞きとがめ、
「なに?ぼくがばかだと?」
と、すっかり腹を立て、きりおの抗議や言い訳も聞かず、これまたぺろりとまるのみにしてしまいます。
「ばかあ」のぬれぎぬをきせられたまま飲み込まれたきりおは、「とんちきめ!」と立腹し、ありこはありこで「ばかあ」と叫び続け、うるさい2匹をお腹に入れてケンカをしながら、仕方なくむくすけはまたまたどんどん進んでいきます。

もちろんここでも、左側のテキストのページは真黒の暗転、右側のイラストのページは、真っ白な地に、少しだけ数の増えた分、少しだけ大きくふくらんだ同心円・・・。
まだまだふくらみそうな、たっぷりとした余白が、物語のこれからのリズミカルな展開を予感させて、どきどきします。

するとこんどやってきたのは・・・。

たべる、たべられるのちょっぴりこわーいお話が大好きな二女が、小躍りして喜びそうなお話!
しかも、「ばかあ」だの「とんちき」だの、平生口にするのはちょっぴりためらわれる、けれどそれゆえに思わず口にのせてみたくてたまらない響きをもつ言葉が、大らかにスパイスのようにふりかけられているのですから、聞くともなく聞きながらほかのことをしていた長女も、自分にはむつかしそうな絵本だからとすねていた三女も、何事かとやってくるくる、絵本の周りに集まります!

短いきりりとした言葉でさらりさらりとどんどん展開していく、耳の離せない物語と、ふわりとした画風でありながらどきりとするどい抽象的な内容の、目の離せないイラストで、その意味を自分なりにとらえ、つかみとらねばならない、技アリの粋な絵本!

この楽しくもおそろしい、たべるたべられるの繰り返し同心円状に広がる物語の顛末は・・・大団円、ああ、そうなのか、と、ほんわかほっとする、ありこ版「赤ずきんちゃん」にふさわしい結びですので、ぜひ図書館などで親子でお読みになってくださいね。
「赤ずきんちゃん」とは異なり、オオカミのような根っからのわるものの設定のないところが、このお話の陽だまりのように和やかな余韻の秘密なのかもしれません。

余談ですが、このたべるたべられるのイタズラナ繰り返しをポンポンと断ってくれて、ケツマツへと導く頼もしい登場人物の、その行動について・・・、どこか、1968年初版当時の大らかな雰囲気を思わせる、なつかしさを感じました。
考えてみれば、小さなありこちゃんを(もちろんありこちゃんの年齢設定にもよりますが)、こわいもののいっぱいいる森に、一人きりでおつかいに出すのも、現在では少し勇気が必要ですしね・・・。

この鮮やかな手さばき筆さばきの見事な物語が、その意味も含めて現在も変わらず版を重ねていることが、本当に頼もしく、すばらしいなと思います。

ところで、印象的な色調とフォルムの並んだ表紙のイラストですが、形や大きさやそれぞれの淡い色にも意味があって、絵本を読んだ後、裏表紙を眺めると、とてもほのぼのとした幸せな余韻にひたれそうです。


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