■ハワード・ノッツさんとイルズ・マーグレット・ボーゲルさんの絵本 |
ハワード・ノッツ・・・アメリカ、イノリイ州生まれ。シカゴ美術大学卒業。アメリカの多くの美術館に作品がおさめられている。古い農家に絵本作家の夫人のイルズ・マーグレット・ボーゲルさんと、たくさんのねこに囲まれて暮らす。 イルズ・マーグレット・ボーゲル・・・1914年ドイツ生まれ、20代でベルリンの美術学校に入学、1948年スイスで絵の勉強をしたのち、1950年にアメリカに移住。子どもの本の制作にたずさわるように。
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『かぜはどこへいくの』*『ふゆねこさん』*『夏のねこ』*『おばあちゃんがいるから』 |
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『かぜはどこへいくの』 シャーロット・ゾロトウさく ハワード・ノッツえ まつおかきょうこやく 偕成社 1981年
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大好きな作家、ハワード・ノッツさんのモノクロの静かな鉛筆画がこのうえなく美しい絵本。
「どうしてひるはおしまいになってしまうの?」 ベットに入って、一日が終わってしまうのを、残念に思うぼうやの質問に、おかあさんはやさしく答えます。 「よるがはじまるようによ。ほら、みてごらん・・・」
ゆったりと満ち足りた一日と、ぼうやとおかあさんの静かな表情が、繊細なモノクロの線画でやさしくやさしく描かれています。 果てしなくつむがれていく命のつながりを感じながら、ゆっくりと今日をお終いに出来る、おやすみまえの美しい絵本。
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貴重なカラーはこの表紙のみで、本文はすべてモノクロ、繊細でやわらかな鉛筆画です。 それが、シャーロット・ゾロトウさんの静かな静かな語りにぴったりそぐっていて、色がないゆえに、かえってあらゆる色が想像の中で自由にふくらむような、広がりのある世界を描き出しています。
原書は『WHEN THE WIND STOPS』HARPER & ROW,PUBLISERS,1975、とあります。(別の画家、ステファーノ・ヴィタールさんのイラストで再販された絵本は≫こちら)
一日を楽しく過ごしたぼうやが、ねどこで、ねかしつけにきてもらったおかあさんにききます。 「どうしてひるはおしまいになってしまうの?」
一日が終わってしまうのを、残念に思うぼうやの質問に、おかあさんはやさしく答えます。 「よるがはじまるようによ。ほら、みてごらん・・・」 ハワード・ノッツさんの描く、まどから外をみるぼうやとおかあさんの、穏やかで満ち足りた表情は、白黒のイラストですがどこかまぶしいくらいに輝いています。
「ひるがおしまいになったら、お日さまはどこへいくの?」 男の子は、なおもたずねます。小さなぼうやにとって、この世は不思議に満ちていて、知りたいことはあとからあとからあふれてくるのです。 おかあさんは、ひとつひとつの質問に、わかりやすく、丁寧に答えます。
おしまいになってしまうものは、何もないこと。別の場所で別の形で、もう一度新しく始まるだけ、ということ。
たとえば昼の終わりは夜のはじまりで、こちらでやんだ風はあちらで吹き始め、波はくだけてまた新しい波になる、というように。
小さいぼうやにわかるように、身近な例えを持ち出して答えれば、その例えをひきついでまた新しい質問が出され、それにまたまた静かに的確に答える・・・。
ああ、理想の母子像ですね・・・。何事に対しても、このようにゆったりとかまえ、穏やかにやさしく子どもに接することが出来たなら。
どこまでもリズムよく繰り返されてゆく母子の他愛無い問答と、添えられた奥行きのある繊細なイラストが、とても心地よい一冊です。 ハワード・ノッツさんは、築200年の農家に、たくさんの猫と奥様(イルズ・マルグリット・ボーゲルさん)と暮らしていらっしゃるそうですが、そんな美しい日々がそっと想像できそうな、さわやかな余韻の絵本です。 こんな絵本が、今も普通に子どもたちに読めてよかった! これからもずっとずーっと版を重ねてほしい、読みついでいきたい作品です。
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同じ偕成社のハワード・ノッツさんの絵本で、現在惜しくも品切れになっている復刊切希望の嬉しい復刊絵本はこちら。
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『ふゆねこさん』 ハワード・ノッツさく・え まつおかきょうこやく 偕成社 1977年
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初めての冬を迎える一匹のはいいろねこが、しげみのなかから、子どもたちと雪が元気に遊ぶのを見ていました。 ねこは夏生まれの野原育ち。ふゆがどんなものか、にんげんがどんなものかまだ知りません。
はいいろねこを見つけた子どもたちは、 「おいで、はいいろのふゆねこさん」 と、毎日よびかけて、えさをおいてやります。 「おまえ、なまえがほしいかい?」 「おまえ、おうちがほしいかい?」
ねこは、なかなか子どもたちに近づこうとはしなくて・・・。
ゆっくりとした時間の中、子どもたちと、ねことの静かな交流が、やさしいモノクロの線画で描かれています。 元気に外で遊ぶ子どもたちと、野生のはいいろねこをやさしく見守るまなざしが温かい、珠玉のねこ絵本。
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原書は『THE WINTER CAT』 HarperCollins Publishers.,Inc.,New York 1972 とあります。
夏生まれの灰色の野生のねこが、初めての冬と子どもたちを目にして、じっと眺めて、冬の厳しさや子どもたちのやさしさをだんだん知っていく、静かで心温まる物語。
はいいろねこは、後から後からひらひら空を舞ってくる白いものを見つめます。 「ふゆってなんだろう?」 「これからどうなるんだろう?」
子どもたちがみつけたはいいろねこは、近づくと、逃げていきます。 「ああ、あれはぜったいつかまらないよ。やせいのねこだもの」 それでも、ねこは子どもたちに近づかないまま、後をついていきます。 「おいで、ふゆねこさん」 子どもたちがくりかえし声をかけます。
夜は寒いものおきで、夏の野原の夢を見ながらひっそりと眠り、昼は子どもたちの声のそばについて、毎日少しずつ、少しずつ、厳しくなっていく冬と、親しくなっていく子どもたちになじんでいきます。
少しずつ、少しずつ・・・。
そんなゆっくりとした、何気ない、けれど特別の子どもとねこの宝物のような時間が、ぴりっと澄んだ冬の空気の中に、詩のように軽やかなテキストとイラストでさらさらと描かれている絵本です。 余分な飾りや、色のない文と絵の行間から、余白から、満ち足りた豊かな世界が静かに広がる、忘れがたい作品。 2006年7月、復刊かなって、本当に嬉しい!
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『ふゆねこさん』と、『夏のねこ』は、別々のお話なのですが、まるで不思議な鏡あわせの絵本のような、ぜひともセットですみずみまで楽しみたい作品です。
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『夏のねこ』 ハワード・ノッツ作・絵 前沢明枝訳 徳間書店 2000年
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ある夏、アニーとベンの姉弟と、犬のスローピーが、庭のりんごの木の枝でうずくまっている、きれいな三毛猫を見つけました。まよいねこでしょうか、まだ大人になりきっていない、とても愛らしいこねこです。 ベンは「りんごひめ」と名前をつけて、そうっと、大切なともだちになりました。
りんごひめはふしぎなねこで、夕暮れになるといつのまにかどこかへいなくなり、次の日またやってきます。 夜の間や雨の日、りんごひめはいったいどこにいるんだろう・・・。
ある雨の日、サンドイッチをもって出かけたベンは、りんごひめが、夏の間だけ暮らしている森の向こうの別荘のおばあさんのひざの上で、丸くなっているのを見てしまいます。
りんごひめが、おばあさんのねこだとわかったベンは、切なくて・・・。
りんごひめを大切に思い、自分のねこにしたかったベンと、ベンを見守る家族の温かなまなざし、ベンとりんごひめを包むやわらかな夏の森のやさしさが、切なくていとおしい、抱きしめたくなるような愛らしい絵本です。 姉弟のゆれうごくこまやかな心情を描いた、繊細な鉛筆画が本当にきれい。 少し大きい子向けですが、ぜひ、お読みになってくださいね。
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原書は『THE SUMMER CAT』 HarperCollins Cildren's Books,a division of HarperCollins Publishers 1981、とあります。 カラーはこの表紙のみで、本文イラストは、細やかで詩情豊かなモノクロの鉛筆画です。 これがまた古い映画を見ているようで、静かに霧のようにけぶる雨模様をながめているようで、本当にしみじみと、美しい。 テキストは、ひと夏のまよいねこをめぐる、姉弟のゆれうごく心、成長してゆく心を、そっと静かに見守った忘れがたい物語。
りんごの木の上で見つけたきれいなねこを、いちばん気に入って可愛がったのは弟ベン。 うちのねこになってくれればいいのに。と願いながら、そっとつけた名前は、
「りんごひめ」
どんなに姉弟がこのねこをいとしく大切に思い、かけがえのない貴いものだと感じ、ただのまよいねこではなく、自分たちのねこにしたいと願ったか、ひしひしと伝わってくるような美しいネーミング。
残念ながら原書を読んだことがないので、原書での「りんごひめ」の名前がどんなものなのかわからないのですが、すばらしい訳だと思います。 日本の昔話「かぐやひめ」ではないけれど、なんだか、「ひめ」という響きに、特別な存在だけれど、いつかはどこかほかのしかるべき場所にかえってしまう、自分たちとは住む世界の違う高貴な方、というはかないイメージが伴う感じがします。
犬のスローピーをこわがらず、そっとなでてもじっとしているひとなつこい小さなこねこは、いつも夕方にやってきて、ベンたちとひとときをすごし、朝になるといなくなっています。 帰る家があるのでしょうか、草原で眠っているのでしょうか・・・。
ある雨の日、サンドイッチを持って、りんごひめの居場所を確かめに行ったベンは、森の向こうの「夏のおばあさん」の別荘で、夏の間だけ住んでいるおばあさんのひざの上に、丸くなっているりんごひめを見つけます。
りんごひめには、ちゃんと家があったんだ・・・。
夏が終わっておばあさんが帰れば、もう会えなくなってしまうりんごひめ・・・。 りんごひめがうちのねこになってくれればいい。 りんごひめを誰よりも可愛がっているのは、自分だ、と思いたいベン。
夏の終わりに降り続いた雨が、三日目の夕方にやっとあがりましたが、りんごひめはやってきませんでした。 もうおばあさんと一緒に、町へ帰ったのかもしれません。ベンを思いやるアニーに、ベンは、 「へいきだよ。ぼくはつよいから」。
そしてその次の日、泣きはらした目をした「夏のおばあさん」が、ベンの家にやってきて、おかあさんと何か話しているのを姉弟は見ました。 「あのきれいなねこちゃん、もう4日も帰ってこないんですって」
驚いたアニーは・・・。
どうぞ切ない姉弟の心のゆれうごきを、よりそって見守って、涙をこらえて頑張ったベンを、温かく抱きしめてあげてくださいね。
ハワード・ノッツさんはアメリカ、イノリイ州生まれ。シカゴ美術大学卒業。アメリカの多くの美術館に作品がおさめられている画家、だそうです。 (『夏のねこ』カバー裏表紙見返しの著者紹介より)
そしてハワード・ノッツさんの奥さまというのが、なんと、 『ふたりのひみつ』 『さよなら わたしのおにいちゃん』 をお書きになった、イルズ・マーグレット・ボーゲルさんなのだそうです!残念ながら、どちらも絶版または品切れまたは重版未定なのですが。 この個人的に思い出深い、大好きな大好きな作品については、後日きっと特集します。とにかくこの繊細なおふたりの画風のどことなく似た感じと、おふたりがご夫婦でいらっしゃることを知ったときには、驚きと感動で息が止まりそうでした。
ボーゲルさんの作品は、現在こちらのみ購入可能です。 よろしければぜひ図書館などでお読みになってくださいね。
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『おばあちゃんが いるから』
イルズ・マーグレット・ボーゲル作 掛川恭子訳 岩波書店 |
わたしはおばあちゃんを、ドド、とよんでいます。かなしいとき、たいくつしたとき・・・、わたしはドドによりそいます。ドドは特別なことは何もしないけれど、歌を歌ってわたしにりんごをむいてくれたり、空想の世界をひととき楽しむことを教えてくれたり、魔法のようにわたしの気持をすいとって、なぐさめて、晴らしてくれます。
いつだってわたしの話をきいてくれて、知らないことは教えてくれて、そっと見守ってくれるドド。 やきもちをやいているとき、はずかしいとき、とくいなとき、しあわせなとき・・・、わたしにはドドがいてくれる。 「おばあちゃんがいるから」
モノクロの細やかでやわらかな線画と、繊細で澄んだ文章が、思い出の中で一つにとけあうような、どこかなつかしくて切ない、美しい読み物。 原書は『DODO EVERY DAY』Harper&Row,Publishers,Inc.,1977
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どこか切なくて、はかなくて、ゆれやすく、こわれやすい、澄んだ輝きを放つガラス細工のような少女の心を、わかりやすい静かな文章と絵で淡々とつむいでいる物語です。 なつかしい部屋のカーテンを久々にあけたら差し込んできた、まぶしい光の中に、ゆっくり浮かび上がってくるような、モノクロのイラストが心に残ります。 もしかすると、『ふたりのひみつ』『さよならわたしのおにいちゃん』の一連の主人公の、別の形の続編なのかしら・・・とも思うのですが、わかりません。
イルズ・マーグレット・ボーゲルさんは、1914年ドイツ生まれ、20代でベルリンの美術学校に入学、1948年スイスで絵の勉強をしたのち、1950年にアメリカに渡り、カードや包み紙などのデザインを手がけるかたわら、子どもの本をかきはじめたそうです。 (『おばあちゃんがいるから』訳者掛川恭子さんのあとがきより)
「会う前からあこがれていたという画家のハワード・ノッツと結婚してからは、10匹のネコにかこまれて、創作に専念しています」 (『おばあちゃんがいるから』訳者掛川恭子さんのあとがきより)
イルズ・マーグレット・ボーゲルさんは、リトル・ゴールデン・ブックスにも『My Little Dinosaur (Little Golden Books) 』など、いくつか絵本を描いているようです。
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