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■フリードリヒ・ヘッヘルマンさんの絵本
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Friedrich Hechelmann 1948年生まれ。ウィーンでグラフィックと造形美術をまなぶ。1973年から、画家・イラストレーターとして活躍するかたわら、南ドイツ包装のテレビ番組制作にもたずさわっている。 (『オフェリアと影の一座』岩波書店 別紙 著者紹介より) |
| 『オフェリアと影の一座』*洋書 |
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『オフェリアと影の一座』 ミヒャエル・エンデ文 フリードリヒ・へッへルマン絵 矢川澄子訳 岩波書店 1988年
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裏方に徹して、愛する芝居とともに歳をとったオフェリアおばあさんが、ひょんなことから、行く当ても無い影たちの身元を引き受け、昼はハンドバックにしまいこみ、夜はアパートを舞台に芝居を教え込むようになりました。 しかしどうしてもオフェリアさんからぬぐえない、影たちのつきまとう不審な雰囲気に、とうとうアパートを追い出された一行は、行く当ても無い長い旅に出て・・・。
「オフェリアと影の一座」
光と影のおりなすファンタジックな物語の中で、タイトルが幾重もの光を放つ粋な作品。 幻想的なイラストが、美しい物語をさらに清め、高みへといざないます。
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ドイツを代表する作家、『モモ』(岩波書店) のミヒャエル・エンデさんの作品です。テキストの量もたっぷりですが、大型絵本の形式で、一面の美しいカラーの挿絵もふんだんに。 原書は『OPELIAS SCHTTENTHEATER』K. Thienemanns Verlag ,Stuttgart und Wien,1988とあります。 アマゾン洋書ではこちら↓
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『Ophelia's Shadow Theatre』 K. Thienemanns Verlag GmbH & Co
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このイラストが、朝もやの中を歩いているような、海の底からゆれる波越しに空を眺めているような、長い廊下を歩いた果てに、ステンドグラスから光あふれる教会の扉を開けた時のような、おぼろでそれ自体が生きている光にほわっと包まれているような、美しいリアル系のイラストです。 主人公のささやくような声の持ち主、オフェリアおばあさんの老いさらばえた深いしわさえも丹念に描きこまれて、迫力もあるのですが、不思議なデフォルメもあいまって、愛嬌も哀愁も、可愛らしさもたっぷりとあります。
物語は・・・これまた、光と影のおりなす、とてもファンタジックで不思議な物語。
小さな古い町に、オフェリアさんという、小さなおばあさんが住んでいました。 オフェリアさんは芝居好きの両親から、大女優になることを期待されていましたが、声が小さすぎたせいもあって、女優にはなれませんでした。しかしそのかぼそい声を活かして、芝居にかかわる仕事・・・町のささやかな劇場の舞台のまんまえの見えないボックスの中から、役者たちがせりふをつかえないように小声でささやく仕事・・・に一生打ち込んで、とても幸せに年をとりました。 しかし、時代はかわり、映画やテレビや都会の大劇場などにとってかわられた小さな町の劇場はいまやさびれ、オフェリアさんは独り者のまま、お払い箱の憂き目にあったのでした。
最後の公演の幕も降り、オフェリアさんがボックスでひとり思い出にふけっていると、なにやら誰もいない劇場に、ゆらゆらひそんでいた影法師がひとつ、どこへいくでも何をするでもなくゆれています。 「あなたはだれなの?」 オフェリアさんがささやくように問いかけるうち、影は主をもたない、誰のものでもない影で、少し淋しく感じている・・・と判明、 「じゃ、あたしんとこはどう?」 と、影の身元を引き受けます。
オフェリアさんはすでに自分の影を一つもっているので、二つの影をもつことになるのですが、これに気がつく人がまったくいないわけではありません。 うわさの種になってはめんどうですし、オフェリアさんはそこで、昼間はかたっぽの影を小さく折りたたみ、ハンドバッグに入れて持ちあるくようにしました。影って、とてもべんりですね。
そんなある日教会でお祈りをしていると、ふいに白い壁にやせほそった影法師がひとつ、すがりつくように現れました。 「あんたも、だれのものでもない影なの?」 「そうなんです。でも近頃、なかまのうわさでは、ぼくらを引き受けてくれるひとがあらわれたとか。あなたのことでしょう?」
こうして、オフェリアさんの小さなアパートには、身寄りのない影や、持ち主のない影たちがだんだんわんさか集まって、暗くなり、しまいには影同士ケンカを始めるようになってしまいました。 人のいいオフェリアさんですが、芝居の中以外のケンカはごめんです。 そこでたくさんの芝居をすっかり諳んじているオフェリアさんは、影たちに根気よく芝居を教え込みます。 何しろ何にでも自在になれる影たちですから、夜中のオフェリアさんの小さなアパートは、たちまち世界中の喜悲劇のスクリーンになり、オフェリアさんは、影たちがせりふをつかえないように、そっとささやいてやるのでした。
しかし昼間は、自分の影以外ハンドバッグにしまって歩くオフェリアさんでしたが、どうしても、不可思議で妖しい雰囲気はぬぐえません。 人々からいぶかしまれ、いわれなき後ろ指を指されるようになったオフェリアさんは、ついに、小さなアパートからカバンとトランク一つで、あてどない旅に出発したのでした・・・。
絵本をぱらぱらめくったときには長いテキストに思われますが、どんどん自在に形をかえてゆく影のように、鮮やかに軽やかに物語が展開されていくので、読み始めると、とどまるところがありません。 厚くたれこめた雲の合間から、やわらかな光がふいにさすような、幻想的なイラストにひきこまれるように、次々とページをめくって、影ふみのオニになったように、オフェリアさんと影たちの行く末を追いかけてしまいます。
オフェリアさんは長い道のりで疲れ果てて海辺で眠り込みます。影たちはそんなオフェリアさんを励まし、その恩に報いるためにも、ハンドバッグから出て相談し、名案を思いついて、目覚めたオフェリアさんを喜ばせます。 すなわち、オフェリアさんと影たちの芝居一座で、行く先々で上演すること。
これが絵本のタイトルにもなっている、『オフェリアと影の一座』で、その粋な用いられ方は、ぜひ図書館などでご一読を。 その声のようにささやかで、暗く明るく苦楽も交えたオフェリアさんの人生の旅のあらたな出発にふさわしい、晴れやかでさわやかな瞬間の向こうに・・・もう一つの、さらなる出発が待っているという、ドラマティックで巧みな仕掛けにも、たっぷりと酔いしれることができました。
ささやかな声で女優になれなかった運命も、まねかざる影たちもみんな嫌がらず受け入れたふところの広さ、逆にささやかな声を活かして芝居にかかわり続け、勤め上げた芯の強さ、そしてまたその芝居で影たちを導いたしなやかさ・・・。 物語のどんでん返しでも、やり方をかえなかった、きっぱりとしたオフェリアさんが、とても輝いて見えました。
タイトル『オフェリアと影の一座』の意味、そして、芝居、影と光、これらのキーワードが自在に操られ、1冊の絵物語に仕立て上げられた、胸のすくような、それでいてほろ苦くうずくような、ドラマティックな1冊です。 ミヒャエル・エンデさん自身も演劇関係出身だそうですので、芝居への思いはなみなみならぬものがあったことでしょう! 別紙折込の、訳者の矢川澄子さんの詳しい解説も、絵本への理解をより深めてくれました。
幻想的なイラストの Friedrich Hechelmann さんの洋書をアマゾンで検索してみると・・・、
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『Plumps- O-moto. Ein Maerchen.』 Droemer Knaur, Mchn,1966
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『Das grosse Bilder- Buch zum Schreiben 2.』 Weitbrecht, Stgt., 2002 |
カレンダーの発売もあるなど、ドイツでは人気の高い画家のようです!
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