■ペンノー・プルードラさんと、ヴェルナー・クレムケさんの絵本

ベンノー・プルードラさんは、1925年ドイツ東部のミュッケンブルク生まれ、教員、ジャーナリストを経て、1951年児童文学作家となり、東独児童文学界の第一人者として特別の待遇を受けていたそうで、1992年ドイツ児童文学賞幼年物語大賞受賞、2004年ドイツ児童文学賞特別賞受賞、
という、ドイツを代表する児童文学作家。
「作品が喚起する想像力と文章の力だけで「理想の価値」を伝えられる希有な作家といわれる。」

(『ズンデヴィト岬へ』(未知谷)参照)

ヴェルナー・クレムケさんは、1917年ベルリンで机職人の息子として生まれる。画家、美術学校の教授、舞台美術や衣装からグラフィックデザインや装丁、絵本、児童書の挿絵など、その業績は多岐にわたる。グリム童話に添えた挿絵は世界的に評価が高い。(邦訳『グリム童話』(童心社))
なかでも戦後旧東ドイツで復刊されたモダンな大衆娯楽雑誌『ダスマガジン』の表紙を35年にわたって手がけ、そのイラストのどこかにひそませた黒猫カーターとともに、多彩で新鮮な画風で人々を常に魅了し続けた。過去に日本でも「黒猫を探せ!クレムケの世界 -ダスマガジン表紙展-」がBEAR HUNTさんの主催により行われた。
1994年没。

(『ヴェルナー・クレムケの世界 ダスマガジンと黒猫カーター』(BEAR HUNT)参照)

*『白い貝のいいつたえ』*『しかのハインリッヒ』*『そらからきたひつじ』*『おはなしグリム』*『ズンデヴィド岬へ』*『ぼくたちの船タンバリ』

 
『白い貝のいいつたえ』評論社品切れ

『白い貝のいいつたえ』
児童図書館・
文学の部屋
ベンノー・プルードラさく
ヴェルナー・クレムケえ
上田 真而子 訳
評論社
1985年
現在品切れ

小さな漁村に住む少年・リュット・マッテンが、自分も父親たちのように、魚とりのわな「やな」を仕掛けて、魚を取ろうと独力で頑張る日々を、村に伝わる白い貝の伝説をからめながら、みずみずしく詩情豊かに描いた素朴でピュアな物語。

少年のゆれる心の軌跡を、現実と伝説の美しいはざまをたゆたいながら、さわやかな潮風をはらむ風景の中にとけこませた、愛らしくのびやかなイラストが、長く心に残ります。
印刷の仕上がりか、時を経たようにほどよく沈んだ感じも、温かみをにじませています。

小さなプライドをかけて、我流でも無鉄砲でも精一杯一人でやり抜こうとする、主人公の少年のけなげさに、切なくて胸が痛いくらい。
少年のたった一人の味方で理解者で幼ななじみの少女マリケーンの、じれったくてもどかしい気持ちもその行動も、きらきらとして、久しく忘れていたなつかしい風を呼び覚ましてくれる感じです。

Lütt Matten
und die weiße Muschel

Kinderbuchverlag, B
2004

原書は『Lütt Matten und die weiße Muschel』、
アマゾンドイツではこちら。現在も愛されつづけるロングセラー。

ヴェルナー・クレムケさんのイラストの、子どもらしく素直で愛らしい表情の、しっとりと深くにじんだような色使いの美しいイラストもさることながら、ベンノー・プルードラさんの詩情豊かなテキストの、すがすがしさ、みずみずしさに一読みぼれ。

白い貝の伝説の残る静かな漁村の少年、リュット・マッテンは、父たちのみようみまねで一人でこしらえたちっぽけな魚とりのわな「やな」を、村の立派なやなたちのとなりの13番目にしかけて、魚がかかるのを毎日楽しみに待ちますが、あいにく一匹の魚もかかりません。
漁師たちも近所の子どもたちも、13番目のやなのことをきけば笑い、見ても数に入れてくれず、「ありゃあがらくただ、子どものおもちゃだ」と、からかうばかり。
たった一人、幼なじみの女の子マリケーンだけは、そんなリュット・マッテンの味方でした。

もう何日も空っぽのやなをのぞいてはがっかりし、マリケーンとためいきをついていたある夜、リュット・マッテンはひいおじいちゃんの使っていた航海用の古いトランクから出てきた不思議なペンギン、クラウタバーマンの夢を見ます。クラウタバーマンは言うのでした。
「きみがやなのことでなやんでいるの、ぼくしっているよ。ぼくがたすけてあげる」
「どこへいくの?」
「お月さまについて、白い貝をさがしに」
そしてクラウタバーマンは月夜の空を、輝く海へと、ベッドを船にしてふわりと連れ出し、リュット・マッテンに言うのでした。
「さあ、白い貝をよぶんだ。」
けれど、突然の光がまぶしいうえに、リュット・マッテンにはなんと呼んだらよいのかわかりません。
そのうちに不思議な夢は覚めてしまって・・・。

そんな夢をみた次の朝、正夢だったのでしょうか、ついに一匹の小さな魚が「やな」にかかっているのを発見したリュット・マッテンは、マリケーンと大喜びして練り歩きます。
ところがその魚が運んできたのは喜びと誇りではなく、リュット・マッテンにとって、信じ、よすがにしていたすべてを根底からくつがえされるような、重大な事実だったのでした。

傷ついたリュット・マッテンは、クラウタバーマンと白い貝を思い出し、真夜中に秘密の船出を決行します・・・。

ヴェルナー・クレムケさんの描く、深く澄んだ色の、しっとりと波に洗われるような美しい漁村の風景、そして潮風に服や髪をなびかせるピュアな表情の少年少女たちが、この幻想的で切ない物語をさらに美しく清め、結晶のようにきらきらと輝かせているようです。

海から持ち帰った貝殻を耳に当ててなつかしむように、この本をそっと耳によせたなら、静かな波のさざめきや、「やな」にかかった小魚のぴちりとはねる音などが、今にも聞こえてきそうな、そんな気さえしてしまいます。
小学校中級〜上級向き、くらいかな、という文章量なので、3姉妹に見せたことはまだないのですが、そのうちこっそり3姉妹の目に付く本棚に並べて、自ら手に取り、開くように仕向けたい、というハハの願いをかなえるべく、かれこれン年、ずーーーっと、古本屋などで気に留めて探しているのですが、・・・ない、ですね。なかなか。かなし。復刊かなえられたらよいのですげど・・・。
イラスト・テキストが美しくよりそい、とけあい、響きあう珠玉の一冊です。

ヴェルナー・クレムケさんの、その他の邦訳作品などはこちら。↓

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『しかのハインリッヒ』福音館書店 品切れ

『しかのハインリッヒ』
フレッド・ロドリアン作
ヴェルナー・クレムケ絵
上田 真而子訳
福音館書店
1988年
品切れ

しかのハインリッヒは、はるばる中国から動物園へつれてこられました。森がなく、最初はしあわせではなかったのですが、園長をはじめみんなが大事にしてくれ、なかでも子どもたちが喜んでくれたので、ハインリッヒはだんだんしあわせになってきました。

ところが、だんだんクリスマスが近づくと、大好きな子どもたちも、あまり動物園に来なくなってしまいました。そんなことは知らないハインリッヒは、がっかりして、クリスマスの夜、ついにぴょーんと柵を飛び越えます。

そして驚く動物たちみんなにお別れのあいさつをして、はるか中国の森へと長い旅に出たのでした・・・。ところがおなかがぺこぺこになっても、猟師がいたり犬がいたりで、なかなかハインリッヒは食べ物にありつくことが出来ません。

そんなとき森に子どもたちの歌声が響いて・・・。

しかのハインリッヒの、子どもたちとともに見つけた幸せを、テンポのよい愉快なテキストと、しっかりとした輪郭線のくっきりとした色彩の楽しいイラストで、明るく弾むように描いた華やかな絵本。シカし品切れなんて!

原書は『Hirsch Heinrich.』Kinderbuchverlag,Berlin DDR,1960、とあります。後述の『そらからきたひつじ』(あかね書房、品切れ)著者紹介によると、「1960年度年間最美図書賞」を受賞なさったそうです。

アマゾン洋書ではこちら。最近も再販されたのですね!(シカし品切れ)

『Hirsch Heinrich.』
Kinderbuchverlag, B
2003

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アマゾン洋書で見つけた下の2冊の愛らしい画像の絵本も、同じく、フレッド・ロードリアンさんとのコンビです。
フレッド・ロードリアンさんは、
「1926年ベルリン生まれ、キンダーブーフ出版社(Kinderbuchverlag)の社長、企画部長を兼任するかたわら、子どもの本の評論家・作家として東ドイツで活躍。童話・絵本のお話で数々の賞を受賞している」
と、『しかのハインリッヒ』(福音館書店)の著者紹介にあります。

 

『Die Schwalbenchristine. 』
Kinderbuchverlag, B
2003年

「つばめとクリスチーネ」として『そらからきたひつじ』(あかね書房)で紹介されている原書だと思います。

『Das Wolkenschaf. 』 
Kinderbuchverlag, B
2004年

英語直訳は「The cloud sheep」のよう。実はかつて、邦訳『そらからきたひつじ』として、あかね書房さんより出版されていた、らしいのですって!

『そらからきたひつじ』あかね書房 品切れ

オンライン書店ビーケーワン:そらからきたひつじ

『そらからきたひつじ』
フレート・ロドリアン作
ヴェルナー・クレムケ絵
山口 四郎訳
あかね書房
1970年
品切れ

クリスチーネは、青い目をした、ながい金いろのかみの、小さい女の子です。
クリスチーネは、あかるい女の子で、やりたいことをいっぱいもっています。
例えば、一人で二重唱ができたらなあとか、動物の言葉がわかったらなあとか・・・。

そんな愛らしいクリスチーネが、夏休みのある日・・・うすあおい空に小さなひつじぐもが流れているある朝に、飼い犬のダックスフントのフーゴーと一緒にはらっぱに出かけて、迷子の羊のチリを見つけました。わたのような毛のもくもくとした、せかいいちきれいな、けれど悲しそうな顔をした羊でした。

「ほんとはくものひつじです。あそんでいるうち、そらからおちちゃったんです
メェ!あたし、みんなのところへかえりたいんです。」

クリスチーネはとりあえず羊を家につれて帰りますが、羊は食べ物も食べず、飲み物も飲まず、遊ぼうともしないで、悲しそうに黙っているばかり。

クリスチーネは、なんとか羊を助けて、空に戻してやりたいと考えます。
どうしたらいいのかしら。だれにたすけてもらったらいいかしら?
おいしゃさんにたのもうかしら?おまわりさんはどうだろう?ひつじかいのエルゲさんは?・・・。

そしてクリスチーネは、羊を助けてくれる大人を探しに、急いで町へと駆け出します・・・。

多彩な画風を持つヴェルナー・クレムケさんの、パステルでふっくらと淡く描いたような、やさしく愛らしいイラストが、ふわふわの羊と女の子を柔らかく包みこむようです。
クリスチーネが町の大通りで、おまわりさんに頼む場面のイラストでは、横顔の人々のデザインのバランスの美しく華やかな感じも楽しめます。

この素直で、のびやかで、夢のある物語は、1962年度東ドイツ児童文学賞及び年間最美図書賞、さらに1960年度のドイツ児童文学選賞(西ドイツ)を受け、ヨーロッパ各国に紹介されたそうです。(『そらからきたひつじ』訳者あとがきより、国名は当時)
また、この『そらからきたひつじ』と「つばめのクリスチーネ」は、映画化もされたそうです。(同書作者紹介より)

邦訳版『そらからからきたひつじ』は、児童書の体裁で、カラーと白黒のページがあります。
原書 はアマゾン洋書でもあるように、最近も再販されているようで、愛され親しまれ続けているのですね!

明るくて素直なクリスチーネのやさしさが、幼い心なりの一生懸命のゆれうごきが、心にしみいるふかふか絵本。もう一度、「つばめ」 もいっしょに日本でも抱きしめる日が・・・来てほしいです。

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そして唯一、現在も邦訳出版がなされている、嬉しい貴重な児童書はこちら。↓

 

『おはなしグリム』童心社

『おはなしグリム』
小林純一・
奈街三郎・
堀尾青史 編集
乾孝 解説
ウエルネル・クレムケ画
童心社
1965年
1999年新装

もくじ
おいしいおかゆ
子ジカのにいさんといもうと
がちょうのおいのり
小びととくつや
おぜんとろばとぼうっきれ
ほしのおかね
いたずらもの
しらゆきひめ
お月さま
いさましいちびっこのしたてやさん
赤ずきん
森の家
しらみとのみ
ちえのあるおひゃくしょうのむすめ
いさましい7人のおとこ
シンデレラ

編者の選んだ有名なグリム童話が、
「グリム童話の意義」
「まま母」
「残酷」
「ユーモア」
などの、児童心理学者の乾孝さんの解説を適所に添えて、222pの1冊の本にまとめた、豪華で骨太の童話集。
グリム童話のもつ意義、奥深さに触れながら、子どもたちに読み聞かせをしてあげることができます。

原書は『DIE KINDER HAUSMARCEN DER BRUDER GRIMM.』DER KINDER BUCHVERLAG、1963とあります。

ウェルナル・クレムケさんの、版画調のモノクロの挿絵が多数ちりばめられた愛蔵版。重厚な中にも、ユーモアと可愛らしさが同居し、版画調の素朴さと洗練されたデザイン性をあわせもつ、美しいイラストが楽しめます。

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『ズンデヴィト岬へ』未知谷

『ズンデヴィト岬へ』

B.プルードラ
森川弘子訳
未知谷
2004年
挿絵 小笠原政男

さわやかな海の潮風と、人々の熱い人情に背中を押されながら、無垢でひたむきな少年ティムが、友だちのきっと待つズンデヴィト岬への希望を胸に、みなの使命をたずさえて、ひた走る、走る、走る!

人里はなれた岬での孤独な夏休みを、輝かしく救ってくれるはずのズンデヴィド。先に行って待つと、朗らかに仲間に誘ってくれた友達のいるはずのズンデヴィド。
まだ小さい少年ティムのズンデヴィド行きの許可を、心配する両親からやっと得るも、その前に反対方向の知人へのおつかいを頼まれます。
ティムは時間があまりないことを承知で、自分しかする人がいないその大切なおつかいを果たすべく、遠い道のりに、ズンデヴィドとは反対方向に出発します。

人が幸せであって初めて、自分もくもりなく幸せになれる。

ティムは必死に最初のおつかいを果たしますが、ティムの事情を知らない人々から、つぎつぎと別のおつかいを頼まれて・・・。

刻々と迫る時間の中、気力も体力も使い果たし、頼みの自転車もこわれてしまった絶体絶命のティム、そしてティムの希望、ズンデヴィド。

ズンデヴィド、ズンデヴィド、ズンデヴィド・・・。
ティムの魂の鼓動が響きます。

ティム、がんばれ!

原書は『Die Reise nach Sundevit.』、1965、とありますアマゾンドイツでは、こちら。今でも普通に販売されているようです。

『Die Reise nach Sundevit.』
Kinderbuchverlag, B.
2004

オンライン書店ビーケーワン:ズンデヴィト岬へ


bk1さんの画像です。

「発表以来40年 ズンデヴィトを知らないドイツの子どもはいない とまで言われる名作」
と、邦訳の裏表紙にもあります。

テキストの作者、ベンノー・プルードラさんは、少年の細やかな心の動きや胸のうちの「あこがれ」を、鮮やかにとらえみずみずしく描き出す、天才的な筆の力をもつ作家のようです。
そして、幼い頃から船長になることを夢見ていたそうで、『白い貝のいいつたえ』(評論社)、『ぼくたちの船タンバリ』(岩波書店 品切れ)オンライン書店ビーケーワン:ぼくたちの船タンバリなどなど、海に関する作品が多く、この『ズンデヴィト岬へ』も、読むたびさわやかな海風を感じる作品です。

時には凪ぎ、時には荒れ、いつも目の前に違う姿で手を広げて待っていてくれる広大な海の、時には強い、時にはやわらかい、潮の香りをふくんだしっとりとした海風が、主人公のふくのすそをふくらませ、髪をなびかせる光景が、そこここから浮かんでくるようです。

人公のティムは8歳の男の子。父親は岬の燈台守で、一人っ子、学校は遠く、夏休みにはいつもいつもひとりぼっち。
そんなある朝、浜辺で偶然出会ったキャンプの、ティムより少し大きい子どもたちが、ティムをズンデヴィト岬への旅にさそってくれたのです!
どうしても行きたいティム!

まだティムは小さすぎる、としぶる父さん母さんをやっと説き伏せたものの、父さんの友人の忘れ物を届けることになったティムは、子どもたちが出発する正午までに、ぎりぎり行って帰ってくるべく、急ぎに急いで片道9キロの道のりを自転車で飛ばします。

何も正午にズンデヴィトに行く今日この日の午前中に、わざわざ遠く離れた別方向へ忘れ物を届けに行くおつかいを引き受けるなんて、無茶のようにも思えますが、あいにく父さんの友人の修理工場所長の忘れ物は、それなしでは仕事および生活一般に不自由しそうな眼鏡だったのです!なんてこと!

ティムは喜んで引き受けます。
それはついに父さん母さんからお許しが出て、晴れて友だちとズンデヴィトに行ける事になったから。
自分に舞い込んできた夢のような幸福が目前にあるゆえに、ぎりぎりでも急げば間に合うのならば、困っている人を助けることはティムにとっては至極当たり前のこと、ズンデヴィトにいける至福の喜びを邪魔するものではありません!
むしろこれですっきり晴れ晴れ、大手をふるってズンデヴィトへ向かえることでしょう。ティムがいちばん幸せであるときには、みんなも幸せであるべきなのです!

・・・ところが、目的の修理工場で、やっとやっと眼鏡の主を捜し当てたティムは、今度はその所長から、ちょうどティムの帰り道方向にある農業生産組合に、部品のボルトの配達を頼まれてしまいます・・・。

さあ急いで、ティム。
時は無常にもどんどん正午にせまります。
そしてやっとの思いでボルトのことづてを託して、今度こそまっしぐらに急ごうとした矢先、今度は道をいくおばあさんが・・・。

いう、お話。
ひたすらティムの気持ちはズンデヴィトに向かい、ティムを待ってくれているはずの友だちに向かいます。けれどもうらはらに運命はティムを翻弄し、残酷なまでにティムの希望を叩きのめします。
それでもティムはあきらめません。
ひたむきに友だちが待ってくれていると信じ、一緒にズンデヴィトに行けることを信じ、かすかでもわずかでも希望的楽観的観測もとづいて自らを鼓舞し、時間と、悲観的常識的観測と戦いながら、先へ、先へと進みます。
眼鏡やボルトなどを、精一杯の真心で届ける使命を果たしたティムは、今度こそ自分を友達のもとに、ズンデヴィトに届ける番なのですから!

純粋でひたむきでつねに前向きな少年ティムに、心うたれ、心ほだされずにはいられません。
少年・少女の持つ、どこまでも澄み切った熱い心と、いじらしいほど一途でまっすぐなまなざしが、読み進むほどにがっちり心をとらえます。
ティムの困難にかかわる人々もこれまたさわやかで、それぞれの立場に一生懸命な人たちばかり。

ティムの精一杯と、ティムをとりまく人々の精一杯が、からみあって、こんがらがって・・・ティムのいちるの希望の糸は、果たしてズンデヴィトにつながっているのでしょうか?

ところで、ズンデヴィト、というのは、岬の名前のようですが、心にズンとくる、というか(笑)、心臓の鼓動に似ている響きのように思います。
文中にも、

ズンデヴィト、ズンデヴィト・・・

と、そんな鼓動と重なっているような表現の箇所があって、耳からも目からもティムの気持ちを伝えてくれる魔法の言葉のようで、なんとも心憎い名前だな、と、思いました。

8歳といえば、私事ですが7歳の長女の一年後ですが・・・こんな息子がいたら、ハハとしては幸せのきわみ、ハハ冥利につきるかも。
で、今日び日本で8歳の子どもを、たった一人でそんな遠くまでおつかいにやれるか、というと・・・なかなか、交通量や犯罪や事故とのかねあいで、難しくなってきているのでは・・・。
そう思うと、この作品に描かれるティムをとりまく大らかで豊かな時代と環境が、作者のぬきんでた筆の力もあいまって、とてもまぶしく思えるのです。

ちなみに、アマゾン洋書で見つけた、ベンノー・プルードラさんとヴェルナー・クレムケさんの読み物はこちらなど。

『Bootsmann auf der Scholle.』
Kinderbuchverlag, B.
2004

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さらに、上記でもちらとご紹介した『ぼくたちの船タンバリ』(さし絵 岩淵慶造)オンライン書店ビーケーワン:ぼくたちの船タンバリのドイツ語版原書『tambari』ですが、何人かのイラストレーターが挿絵をつけているものがあるようで、その中にも、ヴェルナー・クレムケさんによるイラストのものもあるそうです。(アマゾン洋書では、どれがそれにあたるのかわかりませんでした、下に洋書をあげてみました)

 

『ぼくたちの
船タンバリ』
ベンノー・プルードラ作
上田 真而子訳
岩淵慶造絵
岩波書店
品切れ

こちらも、静かな漁村の少年と海の男たち、大人と子どもをとりまく、ロマンと潮の香りあふれる物語。

村ではどこか異端児扱いで、主人公の少年ヤンからは英雄視されていた、今は亡きさすらいの船乗りルーデン・ダッソウの残した帆船、タンバリ号。
その所有権と処遇をめぐって、少年ヤンと男の親戚、村人たち、そして学校の先生、子どもたちの、さまざまな思いが交錯します。
朽ち果てかけた船に、大切な人の残した思い出の船に、ひとつひとつ手を入れ、子どもだけの、再びの航海を夢見るひたむきな少年ヤンと、さまざまな理由から敵対してしまった友だち、みんなひっくるめて、昔取った杵柄の腕と知恵で手助けをしながら、飲んだくれのすさんだ生活から立ち直りかける村人、誰の聡明で親切で、けれどだれの味方につくのも立場上慎重にならざるをえない学校の先生、・・・。

少し長いですが、すべての登場人物が自分の人生を一生懸命生きていて、読後がとてもさわやかです。

Beltz u. Gelberg, W.
2005

Kinderbuchverlag, B
2002
Gerhard Lahr (イラスト)

1974
アマゾン洋書にあったいちばん古いものです。
もしかすると、これがクレムケさんのイラストのものだったのかも?
それとも、こちらでしょうか?→

Arena-Vlg., Wuerzburg
1986

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