『お月さまをめざして』ほるぷ出版 品切れ

お月さまをめざして

お月さまをめざして
ゲルダ・ワーグナーぶん
リロ・フロムえ
ささきたづこやく
ほるぷ出版
現在品切れ

物語は、とおいむかし。
月には男が住んでいる、と父に聞かされて育ったヴィープケは、その正体を確かめてみようと、ある日「いってきます」と、一人で月を目指して旅立ちます。
持ち物は袋一つに、パンをひときれ、ナイフ、それから石ころをひとつ、これだけをつめこんで、出発です。
途中で、きつね、ふくろう、などに出会いながら、どんどん行くと・・・。

藍色を基調とした、繊細なガラス細工のようなイラストが美しい、幻想的な物語。ヴィープケのりんとした強さが、すがすがしく心に残ります。

そして、月に男が住んでいるという伝説を、ついにその目で確かめたヴィープケに、待ち受けていた新しい伝説は・・・。

原書は『DIE MONDIN』Verlag Heinrich Ellerman Munchen,West Germany 1988 と、あります。

神秘的な藍色と銀白色に輝く美しい月夜のイラストが、とても印象的な作品です。
実は、当時読み聞かせ初心者だったン年前のハハが、何気なく図書館で発見してその藍色に一目ぼれし、まだ三歳前後だった長女のために、というよりはひたすら自分の鑑賞のためにほくほくと借りてしまった1冊で、飽くことなくとっくりと眺め入った思い出の作品。
つまり、ハハが絵本の魅力にどっぷりとつかることになったそのとっかかりとなったともいえる、記念すべき(?)美しい作品で、その後のハハの目指す方向を決定付けた・・・かもしれない思い入れとあこがれの強い1冊です。
そうそう、話はそれますが、この絵本と、同時期に何気なく手に取ってみた『ゆきのおうま』(ほるぷ出版 品切れ)、そう、ヤン・クドゥラーチェクさんのあの幻想的な神秘的な幻の逸品、この絵本を目にしてしまったがために、完全にトドメをさされ、絵本の世界のとりこになってしまった、と、いうわけです(笑)。
今にして思えば、地元の古い図書館ながらその古さゆえに、お宝絵本がさりげなく何気なくざくざくと惜しげなく並べられていたのですね!

・・・話がそれました。

『お月さまをめざして』です。
美しい白い満月の、青い夜空の表紙の紅一点は、山の険しい岩肌にすっくと立ち、白いスカーフを風になびかせ、お月さまをまっすぐ見つめる赤いスカートの少女。
誇り高く気高い少女のまっすぐなひたむきさが、夜空をわたる風のようにきりりと冷たく心地よく、見るものの背筋をしゃんとのばしてくれるような感じです。

物語は、とおいむかし。
月には男が住んでいる、と父に聞かされて育ったヴィープケは、その正体を確かめてみようと、ある日「いってきます」と、一人で月を目指して旅立ちます。

持ち物は袋一つに、パンをひときれ、ナイフ、それから石ころをひとつ、これだけをつめこんで、出発です。

なにやら暗示的で、グリム童話やアンデルセン童話のように美しいモチーフの始まりですが、テキストの作者はゲルダ・ワーグナーさんという、1953年お生まれのドイツの絵本作家だそうです。
そういわれれば、少し現代的なアレンジだな、と思うのは、やがてお月さまを目指して歩く夜の闇に慣れた頃、ヴィープケが出会った動物たちとの会話です。

ィープケはまず赤いきつねに出会い、それからふくろうに出会います。
彼らはそれぞれ自分の生活をかけて獲物を追うのに忙しいのですが、最近人間たちのせいで獲物がだんだん獲れなくなってきた、と、ヴィープケにこぼします。
ただ、それは深いぐちではなく、「まあ嘆いてばかりいたってはじまらないがね」という感じの、自嘲気味の、さらりとした台詞なのですが、ヴィープケの月を目指している話を聞くと、
そりゃあいい。月がここよりよかったら、銀色の光を投げかけてくれないか。私も行くから
と、まんざらでもない様子。
月へ行く話を笑うわけでもからかうわけでも、無理だからと親切ごかしにとめるわけでもなく、またよくある昔話のように月へ行くための何かのヒントや魔法の鍵をくれるわけでもありませんが、淡々と耳を傾けた上に、そりゃあいい、と、半分心を動かされた様子であるのが、なんだかとても新鮮な感じがします。

しかしすぐさまおともについてくるわけではありません。ヴィープケはもっていたパンをわけあたえ、背中や羽をなでてやるのですが、食べたきつねも食べなかったふくろうも、またそれぞれに別れて自分の生活に戻ります。

お月さまをめざして

そしてヴィープケがひとりさらに月をめざして、高い山に登っていくと、突然、その行く手を真っ黒い厚い雨雲がさえぎります。
とおしてちょうだい」と、ヴィープケは頼みますが、雨をたっぷりはらんだ黒雲はその場所が気に入っていて動きません。ここでやがて時満ちて雨をふらせるのを待っているのです。

そこでヴィープケは、持っていたナイフで黒雲をつついてやります。
とたんに雲がやぶれて、雨がザアッとふりだしました・・・。

ここが、私の一番お気に入りの美しい場面です。リロ・フロムさんの描く澄み切った湖面のような、月夜を映した水晶のような、ひんやりと静かで幻想的なイラストが、夢のように美しい場面です。

話の中に、このようにひたむきで、どんな困難にも敢然と立ち向かい、いつのまにか運命を味方につけてしまう、芯の強いイメージの少女の主人公を見ることがあるように思うのですが、果たして、『お月さまをめざして』の主人公・ヴィープケもまた、遠いむかしのおとぎ話の主人公たちのように、運命を自分で切り開くたくましさを持っています。自らの足と持ち物だけの力で、誰の助けも魔力も借りず、ついに目的を達するのです。

冒頭で述べられた、三つの暗示的な持ち物のうち、最後の一つ、石ころは、何の変哲もなければ魔力もない、それこそツキナミな石ころなのですが、それを持っていく理由がしゃれていて、
お月さまにあるかどうか、わからなったし、なにかあったときに、つかむものがないと、こまるとおもったからなのです
とあります。おまもりのようなものかもしれませんが、それよりももっと能動的なもののような気がします。

また、個人的に、「何かあったときにつかむ」という動作から、新生児のモロー反射とよばれる独特の条件反射(突然の大きな音など外部からの刺激に対して、とっさに身を守るべく何かをつかもうとびくっとする、原始反射)を思い出しました。
万が一のつかむよりどころとして石を用意したヴィープケは、何かあったときに、まず誰かや何かに助けを求めてすがるのではなくて、自力で身構え立ち向かおうとしているのではないか、と思えます。これはハハのとても好みにかなうところ。

その石ころの出てくる場面も、とてもロマンチックで美しいので、図書館などでぜひお読みになってくださいね。

そして、月に男が住んでいるという伝説を、ついにその目で確かめたヴィープケに、待ち受けていた新しい伝説は・・・。

月にはうさぎが住んでいると聞かされて育った私たちには、月に住んでいるのが男か、女か、そもそも月が女性か、男性か、などと余り考えたこともないと思いますが、訳者のささきたづこさんのあとがきとともに、とても興味深い作品だと思います。
月を愛でる楽しみがまた増えるような格別な1冊ですので、ツキナミなしめくくりですが、よろしければ図書館などでご覧になってくださいね。


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