■エルサ・ベスコフさんの絵本 2
1874-1953。スウェーデンの国民的絵本作家。
『クローカ博士の発明』*

別頁≫『おひさまのたまご』*『きみ、どこへいくの?』*『おひさまがおかのこどもたち』*『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』

 

『クローカ博士の発明』
エルサ・ベスコフ作・絵
小野寺百合子訳
ブッキング
2006年

「ベスコフは絵本を二十冊あまり、短編集を数冊残していますが、この本で取り上げたお話四編は、この短編集の中から選んだものです。」
(『クローカ博士の発明』本文「作者について」より)
と、あります。
もともと画家のベスコフさんが、ウィットに富む自らの短編作品に、白黒の挿絵を添えた、穏やかで心温まる読み物。

ファンタジックな昔話のような物語に、ベスコフさん流のおだやかな風刺やユーモアがちりばめられています。ふわりと気持ちよくただよいながら、くすりと笑える、そして心がにっこりとする現代童話です。

エルサ・ベスコフさんの幻の児童書(?)、めでたい復刊です!その昔は、佑学社 からでていたのですね。
原書は『Elsa Beskows Sagor』Bonnier Carlsen,1981 とあります。

オンライン書店ビーケーワン:クローカ博士の発明その4編は、
「森の中のお城」
「クローカ博士の発明」
「記憶をとりかえっこした王さま」
「格子山と縞畑」

 「森の中のお城」
むかしむかし、ある大きな森のまん中に、古い城がたっていました。お城のまわりの庭は、草ぼうぼうでした。城にはたいへん年とった城主と、大変年とった夫人と、二人の年よりと召使がすんでいました。
ある雨の夜、
・・・

ただならぬあやしい雰囲気の、やせっぽっちでのっぽの大男が、人里はなれた古い城を訪れて、
「ひとばんとめてほしい」
と、大門をたたきます。
老城主たちはおびえながらも、びしょぬれでおなかぺこぺこの大男を中に入れてやり、あらためてろうそくをともして見てみますと・・・。

こうして、荒れ果てた城に落ち着くことになった「大男」によって、城の庭や部屋がよみがえり、若々しい活気と安らぎに満ちた、新しい幸せの城が誕生する物語。
おばけや妖精や魔法など、直接のファンタジーは出てこないのですが、物語そのものがおだやかなファンタジーに包まれているような、心安らぐ現代のおとぎばなし。一つの理想郷がここにあります。

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 「クローカ博士の発明」

百年ほど前に、科学が進歩したクリンゲル国に、クローカ博士という大学者がいた。ペトルスという一人息子は、例をみないほど手におえない子で、頭の中にいたずらがいっぱいつまっているところは、父親の頭の中で、発明でいっぱいなのと同じであった。

クローカ博士は、王さまの命令で、見かけは学校の建物のような、しかし学校よりもすばらしくその中に入りさえすれば学校も先生もいらなくなるような、完璧な教育機械を発明します。その輝かしい機械の被実験者第一号として、ペトルスと12人の仲間たちが、少なくとも一年間、中に閉じ込められることになりました。
しかし事前に博士の設計図をちゃっかり盗み見していたペトルスは、仲間たちを引き連れて町外れの無人の小島に逃げ出して、ほとぼりがさめるまで、自分たちだけで暮らすことにします。
その間も、機械は規則正しく空っぽのまま動き続け・・・

SF昔話、でしょうか。近未来にいかにもありえそうな事柄を、昔話形式の語りで淡々と描いた、楽しい短編。以前旧版を図書館で借りて初めて読んだとき、「こんな作品もお書きになるんだ」と、ちょっぴり意外な新鮮さを感じたことを覚えています。
大人たちの思惑と、子どもたちの思惑が、正しく運転する機械をはさんで、迷走し、二転三転暗転反転して、巧みな結末へと転がっていく物語は、とても痛快。ちゃめっけのある語りの文章が、この皮肉な結末に、明るい笑いを添えています。

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 「記憶をとりかえっこした王さま」
「記憶の国」のポリクナ王は、とほうもない記憶力の持ち主で、国中の人々にも記憶を奨励し、暗記を強制した。
「それで国中の人がとほうもなくあくせくし、たえまなく長い詩やリストや表をたえ間なくつぶやいていることになり、まるで真夏のてんじょうのはえみたいであった。
・・・
七マイル森のトロルたちにも、灰色山の大ドゥンクという王さまがいて、ポリクナ王とおなじように、手下どもをじょうずにおさめていた。」

ところが、炭焼きたちの暗唱に励むうわごとを聞きつけ、とほうもなくすぐれた記憶をもつ王さまの話を知った大ドゥンクは、ポリクナ王にやきもちをやき、
「ポリクナ王の記憶をぬすむことができたらなあ」
と、思い立った。
・・・

大ドゥンクはトロルの奥さんにそそのかされ、後押しされて、ついにポリクナ王の記憶を手に入れます。
しかしポリクナ王にも、しっかりしたかしこいおひめさまがついていて、王さまの記憶力を取り戻してみようと、七マイル森へ出かけていきます。
そして・・・

個人的に大好きなトロルの出てくるファンタジー。トロルの粗野、じゃなかった、素朴で、おおらかで、憎めない愛らしさが、ベスコフさんの作品で満喫できます。
『ロサリンドとこじか』(フェリシモ出版)オンライン書店ビーケーワン:ロサリンドとこじかや『おうじょさまのぼうけん』(同)オンライン書店ビーケーワン:おうじょさまのぼうけんにも通じるような、小さいかしこいおひめさまの活躍もほほえましくすがすがしく、みんなが大満足の結末に、ほっと心も和みます。
ベスコフさんの挿絵は、いつも穏やかなやさしさに満ちていますが、文章にはさらにスパイスや茶目っ気も加味されて、大人が読んでも薬になるような、さらりと洒落た物語になっているように思います。

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 「格子山と縞畑」

たまに旅行者がまよいこむだけという遠いいなかに、ランドオクラとルートバッカという、ふたつの小さな村があった。村はたがいにくっつきあってふたつの豆つぶのようによく似ていたので、むかしからなかがよかった。ところが、あるできごとが起こった。それを、わたしは今話すところなのだ。
・・・

双子のようにそっくりで仲がよかった二つの村に、初めて女王さまが訪れて、熱烈な歓待を受けました。心やさしい女王さまは、それぞれの村の無地の織物をほめ、いくらかのアドバイスを与えたのですが、片方の村では、
「なぜおまえたちは無地ばかり織るの? あちこちに縞を入れたらもっときれいじゃないだろうか?」
と言い添えて、もう片方の村では、
「きものには格子がかっこういいのじゃないかしら?」
と付け加えたものですから、たちまち、二つの村のはたおりきがぱたぱたなりはじめ、二つの村はきっぱりと縞と格子に分かれてしまいました。
今ではすっかり仲たがいした二つの村の間の学校に、ランドオクラの村長の息子のラーシュと、ルートバッカのクロッカ家の娘のルートが通っていて、他の子どもたちの格子と縞のけんかをよそに、いつも二人で仲良く遊んでいました。やがて大きくなった二人は、結婚したいと思うようになったのですが、それぞれの村中に反対されて、ついに、ラーシュは立ち上がります。
「ほんとうは、女王さまがなんておっしゃったのかを聞きに、ぼくは自分で女王さまのところへ行こうと思います。」
そして・・・

ベスコフさんの洒落た語り口で、格子と縞の二つの模様にふりまわされた村人たちの痛快な人間模様が、きびきびと軽快に描かれています。たかが格子と縞というなかれ。発端は軽い女王様のお言葉でも、ぞれぞれの村人たちに浸透し、心に刻まれるうちに、決定的な溝になり、重さを持つようになるさまは、現代のさまざまな問題にも重ねることができるように思います。
だんだんその溝に入り込んでしまって、視野が狭くなり、煮詰まってきたかに思える「格子と縞」問題は、その後意外な展開を見せます。つぎつぎと目の当たりにした新事実に、目からはうろこを、頭からはこだわりをさっぱり流した村人たちの、がらりとした様変わりが、からりと明るくてさわやか。

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物語の挿絵画家としても、物語の作り手としても、ベスコフさんは本当にすばらしかったのですね。その他の短編も、ぜひ読んでみたくなります。
よろしければ図書館などでお読みになってくださいね。

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