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『ほくの おじさん』 アーノルド・ローベル作 三木卓訳 文化出版局 1982年
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船旅中の両親が嵐で行方不明。いきなり孤独にさらされて、心細いちいさなぼくを、おじさんがそっと迎えに来て、静かにいたわり、悲しみによりそって、おじさんのやり方で、精一杯元気づけてくれました。 ドアを開けて、そして、閉める。あっというまに思える出来事。 絵本の扉をひらいて閉じるまでに、見て聞いて感じたすべてを、ひとつひとつ数え上げて、とどめておきたい、珠玉の物語。
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あるひ、ふねでたびにでかけたかあさんととうさんが、あらしにあっていなくなった。 カーテンをしめてひとりぼっちでいたら、 「やあこんにちは。 わしはきみのおじさんだよ」 って、おじさんがドアをあけた。 ぼくはおじさんと汽車でおじさんの家に向かった。 これからのぼくとおじさんの新しい毎日のために。 ・・・
真っ暗な部屋のドアが開き、光とともにおじさんが入ってきたはじめての出会いで、まだぼんやりしているぼくの気持ちをほぐすように、おじさんがぼくに尋ねる場面。 「きみはなにをみているのかな。ああそうか。わしのしわみてるんだな」 「ずいぶんたくさんありますね」 「そうとも。いっぽんのきのはっぱよりも、はまべのすなつぶよりも、そらのほしよりもたくさんある」
数え切れないほど細やかな線を重ねた、重厚な線画は、かっちりした身だしなみのおじさんに刻まれたしわのよう。 くすんだ淡い赤と緑をひかえめにのせたしっとりしたイラストは、穏やかながら堂々したおじさんの、頼りがいのありそうな、優しい静けさがにじみ出てくるよう。 詩のように美しいテキストからは、おじさんの豊かな知性やユーモア、人情がうかがえて、悲しい物語の始まりながら、どこかほの明るいあたたかい気持ちに満たされます。
この物語は短くで優しい言葉でつづられた文章の、いくつかのまとまりを持ち、少しずつゆるやかに流れながら進み、ぼくとおじさんの出会いの始まりから終わりまでを淡々とつづっています。 ぼくの両親の遭難事件以外に、派手な事件があるわけではありませんが、さらさらとした小川のような、ひとつひとつのささやかなエピソードが、後にみんなつながる伏線となり、とうとうと海に注ぎ込むようにひとつになっている構成が、とても鮮やかに心に響きます。 おじさんがドアをあけたこと。おじさんとぼくが汽車の中で数をかぞえたこと。おじさんの服に対するささやかなこだわり。王さまと王子さまのたとえ話。年老いて体がぎしぎしすること。 全部の物語を読み通して、もくじを見ると、なんて美しいまとまりをもっているのかと思うほど。
おじさん ドアを あける おじさん でんちゅうを かぞえる おじさん ランプを つける おじさん よあけに あいさつする おじさん からだが ぎしぎしする おじさん おはなしを する おじさん ふくを きる おじさん うたを つくる おじさん ドアを しめる
からだがぎしぎしする年代のおじさんが、なぜ一人暮らしなのかについてはまったく描かれていませんが、静かに花に囲まれて暮していたおじさんが、小さな子どもとの生活に慣れていないだろうということは想像することができます。そのおじさんの精一杯のぼくへの気遣いが、さらりと楽しくて洒落ていて、誰の心をも明るくする、ランプのようなところも好き。おじさんのお話も、おじさんのなぐさめも、おじさんのつくるうたも、おじさんのしわのように、みんな心のひだに深くふれるものばかり。 ふいに訪れる幸せな結末のかげで、もうひとつのあっさりとした幕切れの数え切れない切なさに、胸がいっぱいになってしまいます。
長く、何度でも読み返したい、大切な大切な物語。
原書は『Uncle Elerhant』1981 Harper & Row, Publishers, Inc.
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『Uncle Elephant (ペーパーバック)』 Trophy Pr; Reprint版 (1986/10)
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『どうぶつえんの ピクニック)』 アーノルド・ロベル文・絵 舟崎克彦訳 岩波書店 1963年
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人懐こい丸っこい絵で、動物園の動物たちご一行の遊園地騒動を描いた楽しい絵本。 ひさびさの自由を満喫し、楽しい遊園地に夢中の動物たちは、帰る時間になってもまったく帰りたくありません。困った飼育係のマスターさんが、とうとう編み出したいちばん楽しい名案は・・・。
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風邪をひいてしまった動物園の動物たちに、お医者さんは言いました。 「このこたちはいつもせまいおりにすわりっぱなしなんでしょう。すこうし うんどうがたりませんなあ」 そこで飼育係のマスターさんは、動物たちが回復すると、お医者さんのすすめどおり、海へピクニックに出かけることにしました。 おべんとうをこしらえて、バスをかりきって、さあ出発。 みんなは一日楽しく遊んで、あっという間に帰る時間。
おや、ちかくのゆうえんちからおんがくがきこえてきます。 「たのしそうだなあ」 たちまちどうぶつたちは、ゆうえんちめがけてかけだしました。 「こら、とまれえっ。かえってこいったら」 夢中の動物たちに、マスターさんの声なんか、聞こえるはずもありません。 困ったマスターさんは・・・
人懐っこくまるっこい古風な線画に、黒とオレンジ色の2色刷り。おもちゃみたいにまんまるの無邪気な瞳が、お茶目で愛らしい絵本。 マスターさんの制止をふりきって遊園地に飛び込み、つぎつぎとはしゃぐ動物たちの場面の、はずむテキストとイラストといったら!
そんな大喜びの動物たちを、なんとかして動物園につれて帰らなければならないのですから、マスターさんは頭をひねります。チョコレートクリーム・ソーダを飲みながら。 そして思いついた名案は・・・!
楽しいひとときはいつかは終わるもの。でもいつまでもこのまま続いてくれたらいいのにな・・・と思う無邪気な動物たちの気持ちを、そのままくみとって実現したような見事な方法は、さすがマスターさん!動物たちの毎日を心得ているマスターさんだからこそ、どうぶつたちにとっていちばんたのしい方法になったのですね。 楽しいピクニックから知らぬ間に戻ってきた動物たちを、ひとときの夢からいつもの現実へ、本当に目覚めさせる手段も洒落ています。 結末は、まるっこい絵で描かれた、まさに大団円。よかったね!と、大満足で絵本が閉じられる物語。
この絵本は、絵本を購入したときにはさまれている別紙の、「訳者のことば 舟崎克彦」が、とてもすばらしく、ロベルさんの生い立ちや、作品の根底に流れている、 「生きとし生けるものはいつも信頼し、いつくしみあわねばならない」 という信念などについて書かれていて、絵本の巻頭あるいは巻末にそのまま印刷されていればいいのにな、と思うほど。 その「訳者のことば」によると、この『どうぶつえんのピクニック』は、アーノルド・ロベルさんのデビュー作(A Zoo for Mister Muster,1962)の続編で、「ニューヨークタイムズ」の子供のための最優秀イラストレイテッド・ブックスに選ばれた絵本だそうです。
原書は『A HOLIDAY FOR MISTER MUSTER』 1963 Harper & Row, Publishers, Inc., New York とあります。
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『いえのなかを外へつれだしたおじいさん』アリス館 品切れ
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『いえのなかを 外へつれだした おじいさん』 アーノルド・ローべルさく・え 奥田継夫やく・ぶん アリス館 1976年 品切れ
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家の中の家具たちも、自分たちのように、朝の気持ちのいい光を浴びさせてやりたい・・・そしてにぎやかに家の外に出てきたいえのなかたちは、おじいさんと町をねりあるき、そのままおじいさんを見捨てて、遊びにいってしまいました。それから一年・・・。
マザーグースみたいにナンセンスでユーモアたっぷりの楽しい物語。読み手のさまざまな物語をまざまざとひきだしてくれるかも?
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たくさんの家具を心から愛し、大きなお屋敷に住むベルウッドおじいさんの朝は、そうじからはじまります。その朝も、いつものそうじをすませて、きもちのいい外の玄関のポーチで、柳細工の白いゆりいすでゆらゆらくつろいでいたおじいさんでしたが、 −はてと。わしとしたことが、白いすくん。わしたちが朝の光を楽しんでいるというのに、ほかのものかちを家の中にとじこめておる。うん。いいことがある。さぁ、さぁ、みなさん。外へでなされ、やァい。 すると、コトリと音がして、それから、ギシギシ音がして、 ・・・
なんとなんと家の中たちが、みんなみんな外へぞろぞろ出てきて、おじいさんを先頭ににぎやかなパレードです! −ばんざーい。いえのなかを外へつれだしたおじいさん。 ところが夕方になると、突然スピードをあげておじいさんを追い越していったいえのなかたち。だって自由になったのですから、嬉しくて、とうとう勝手に見えなくなってしまったのです! ・・・
楽しくはねをのばすいえのなかたち。 たった一つのこった白いゆりいすで、深い悲しみに沈むおじいさん・・・。
この絵本の、アーノルド・ローベルさんの格調高い線画に、淡い色彩がほんのりほどこされた絵が好きです。全体を見つめると、シャボンの表面のような、虹色のグラデーションを感じるところがとても好き。繊細に描きこまれた線画は、どこか銅版画のようでもあります。
家の中の家具たちが、そろって外を練り歩く愉快な物語は、どこか、ロシア民話の、こきつかわれ粗末に扱われためにとうとう怒った台所道具たちにこぞって逃げ出されてしまった、あわれなフェドーラばあさんのお話を思い出します。 ベルウッドおじいさんは、大事な家具たちを、それはそれはきれいにみがいて、愛していたのですけれどもね・・・!それなのに自由に浮かれて、保護者ともいえる大切なおじいさんを見捨ててそのまま家出してしまうなんて、大変な放蕩息子たちだなあ、なんて思ったりもします。子どもは大なり小なりやんちゃなところがありますから、絵本を読む保護者たちは、みんなそれぞれ大なり小なり身につまされて、うなづいたり、いましめにしたり、みせしめにしたり、いいきかせたりするのかも(?)。 逆に自分が放蕩娘だったりすると、最後にぼろぼろになって帰り着いたとき、やっぱり変わらず迎えてくれたおじいさんのあたたかさに、胸がいっぱいになって涙で見えなくなってしまうのかも。 そんなふうにうがって読むと、一人暮らしらしいベルウッドおじいさんの過去の、いたかもしれない家族や、いたとしたらもう成人しているだろう子どもたちのことまで考えたりして、彼らはいまどこで何をしているのかしら、なんて、なかなか、奥深い物語を想像(創造?ねつ造かな、苦笑)できるかもしれません。
『どうぶつえんのピクニック』(岩波書店、原書初版1963年)では、夢中で帰ろうとしない動物たちを、主人公が巧みな名案で見事につれて帰る物語だったのですが、10年後の『いえのなかを外につれだしたおじいさん』(アリス館、品切れ、原書初版1974年)では、主人公の力ではつれて帰ることができなくて・・・という物語であるところが、なにやら対照的で、どこか暗示的な感じもします。 最後は心温まるやさしい結末なのですが、それなりにシニカルな部分もあって、メルヘンでナンセンスな絵本ながら、人生の凝縮されたエッセンスを垣間見たような、味わい深い絵本でもあります。
ともあれ、ナンセンスでユーモラスで楽しくて、美しいイラストの絵本なので、そのままあっけらかんと楽しんで読むのがいちばんかも!
原書は『THE MAN WHO TOOK THE INDOORS OUT』1974 Harper & Row, Publishers, Inc., New York とあります。1974年度最優秀絵本賞を受賞したそうです。 (『いえのなかを外へつれだしたおじいさん』 著者紹介 より)
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